Stage One「旅立ち」

 虫の鳴き声が止んで、草を踏みしだく音が聞かれた。
 星の明かり以外にはどんな光も見つけられない崖っ淵で、1人佇んでいた男は振り返り、近づいてくる人影を認めた。
 「部屋においでではなかったので、こちらかと思いました、ランスロット殿」
 暗がりから聞こえたのは、彼のよく知る老人の声、滅多なことでは取り乱さない、冷静沈着な人物のそれだった。
 「あなたがゼルテニアにおいでとは珍しいこともあるものですね。ウォーレン殿、いったいどんな火急の用でしょうか?」
 老人は、ランスロットの隣まで来ると、立ち止まって、空を見上げた。
 「ランスロット殿、いよいよ発つべき時が来たようです。我ら、ゼノビア王国最後のあがきをゼテギネア帝国に見せつけてやるとしましょうぞ」
 ランスロットが黙していると、ウォーレンはこの老人には珍しく饒舌に語った。
 「あの星をご覧あれ。昨日現れた彗星です。ランスロット殿、あれは我らの希望、〈啓示の彗星〉です。あれが意味するところを、ラシュディほどの魔導師が気づかぬとは思えません」
 「そういうことであれば、皆に召集をかけなければなりますまい。リーダーには、やはりあなたが立たれるのですか?」
 「いいや。今度はわたしは脇に徹するつもりです。わざわざ伺ったのは、そのことをあなたと相談したいと思ったからなのです」
 「となると、このわたしがリーダーというわけでもなさそうですね。
 ウォーレン殿、話が長くなるのであればわたしの小屋に戻ってはいかがですか? 春とはいえ、まだ夜風は冷たいのですからお身体にさわりましょう。わたしのところには林檎酒も残っております」
 「いえ、ここで話したいのです。あなたとわたしの間でお気遣いは無用にしていただきましょう。あなたの意見を伺う前に、皆に聞かれたくないということもありますが、ランスロット殿、わたしの心は実は決まっています。あとはあなたも含めて、皆が賛成してくれるかどうかだけのことなのです」
 ウォーレンからはなみなみならぬ決意が感じられた。いつも温厚で人とのあいだに波風を立てるより、仲裁に回ることの多い彼が、そんなふうにはっきりと言い切ることは珍しかった。
 ランスロットはついに立ち上がり、ウォーレンにわかるように右手を差しのべた。
 ゼテギネア大陸には「信頼の挨拶には剣振るう手を、別れの挨拶には楯持つ手を」という習わしがあって、特に戦士層に根強い。
 「そういうことでしたら、あなたの話を聞かせてください、ウォーレン=ムーン殿」
 老人は微笑み、その手を握り返したのであった。
 ゼテギネア大陸の東の辺境であるヴォルザーク島の入り口、フェルナミア港沖合に、1隻の船が停泊していた。月に1度、島とゼテギネア大陸本土とを結んでいる定期船ではない。もっと優美な船体をした3本の帆柱を持った帆船である。
 船首には、1人の女性が立ち、左手を腰の曲刀に添えて、これから入っていくのであろうフェルナミアの町を眺めていた。
 赤銅色の目にも鮮やかな髪を肩のあたりで無造作に束ね、よく日焼けした肌には細かい無数の傷跡を残し、灰色の眼は陽の光に輝いている。刀のほかには小刀と胸当てを身につけただけの軽装だ。
 「グランディーナ、この船ではこれ以上港に入ることができません。気の利いた迎えもよこしてもらえそうにありえませんし、ここからは小舟を使いますよ」
 そう言いながら現れたのは、後頭部に向けて撫でつけた黒髪にちょび髭を生やし、フリルのブラウスを着た気障な男だ。
 「ジャック、ここまでありがとう。助かった」
 「礼を言われるほどのことではありません。わたしは商人ですからお金の匂うところに来たまでです。しかし、ヴォルザーク島に来るのは予定外でした。あなたの頼みでなければ縁もないところだったでしょう」
 グランディーナは身軽に小舟に飛び降りた。傷だらけの胸甲がわずかに輝く。それよりも鮮やかなのは、彼女の銅(あかがね)色の髪、磨きあげた銅貨のようなきらめき。
 彼女につづいて、ジャックも小舟に移った。慣れた手つきで櫂を取ったところを見ると、彼が港まで送っていくつもりらしい。
 続いて乗り込もうとした屈強そうな、見るからに用心棒風の男を片手で軽く追い払った。
 「それにしてもグランディーナ。本当にほかには何にも要らないんですか? 仮にもわたしも〈何でも屋〉と名乗る以上、あなたに旅支度も持たせないとあっては名がすたるというものなんですがねぇ」
 小舟の先に立っていたグランディーナが振り返った。
 「私は戦争屋だよ、ジャック。あなたにはこの二振りの刀をもらった、それで足りる」
 「戦争屋とはねぇ。もう1ヶ月一緒にいられるのなら、わたしはあなたをどんな淑女よりも美しく見せられる自信がありますよ」
 言いたいことを言ってしまうと、彼女はもう向こうを見ていたので、ジャックの言葉も独り言にすぎなかった。
 グランディーナの視線は、近づいてくる小舟に慌てた、港の帝国兵を捉えていたのだ。
 「ジャック、つかまっていろ!」
 不安定な小舟の上でグランディーナは2、3歩助走すると、舳先から波止場に飛び移った。
 その反動で小舟は大きく前後に揺れ動いたが、ジャックは櫂にしがみついて、海に放り出されることだけは免れた。
 けれども彼は、グランディーナが帝国兵のあいだを駆けぬけてゆくところはしっかりと見ていた。
 手慣れた様子で曲刀を振るい、あっという間に帝国兵を海にたたき落とした。誰一人死んではいない。すべて鞘ごと叩きつけた。
 しかし、いちばん奥には隊長とおぼしき男が立っていて、彼女もその手前で立ち止まった。息を切らしてもいないほどだ。
 「鮮やかな手つきだな、娘。何が目的だ、こんな辺境の島へ来るとは何を企んでおる?」
 グランディーナは曲刀を抜き放った。
 「知れたこと、ゼテギネア帝国を倒すため、これがその始まりだ」
 「愚かなことを。おまえがいかに優れた剣士であろうと、強大なる神聖ゼテギネア帝国にかなうと思っているのか。
 それよりもおまえが海にたたき落とした能なしの臆病どもに替わって士官に取り立ててやろう、その腕前、むざむざ死なせるには惜しい。帝国のために役立てろ」
 「断る。帝国などに尻尾を振るつもりはない。貴様こそ命が惜しくばそこを退け」
 「馬鹿な奴だ。この俺をおまえの倒した兵士と同じに考えたか?!」
 「思ってもない。刀を抜いたがその証!」
 真っ直ぐな広刃の剣と、片刃の曲刀がぶつかりあった。火花が飛び、小舟の上のジャックも、遅ればせながら現れたフェルナミアの人びとも固唾を呑んでこの勝負の行方を見守った。
 が、勝ったのはグランディーナの方だった。何度か打ち合った後で一刀両断に刀を振りおろし、隊長は血飛沫をあげて波止場に倒れた。
 海に落とされた兵士たちがようやく波止場に這い上がってきたのはそのときだった。
 彼らのなかには血を見慣れていないのか、隊長の死体を見て悲鳴をあげる者さえいたほどだ。
 「た、隊長!」
 「武器を捨てて去るがいい。だが手向かうならばあなたたちも容赦はしない」
 グランディーナは振り返りもせずに言い放った。曲刀の血をぬぐって鞘に収める。
 振り返ったとき、彼女の視界にはぬれねずみの帝国兵士たちは1人も入っていないようだった。グランディーナはようやく落ち着いた小舟の上のジャックを見ていた。
 「まったく、あなたという女性にはいつも驚かされっぱなしですね。もしもわたしが海に落ちたらどうしてくださるつもりだったんですか?」
 「落ちなかったじゃないか。あなたは泳げるし、まさか小舟の上でやりあうわけにはいかないだろう?」
 ジャックは肩をすくめてみせた。
 実際、彼は波しぶきひとつかぶっていなかったし、もっと舟が揺れても海に落ちもしなかったろう。
 「グランディーナ、これを持っていきなさい」
 ため息混じりに、ジャックは硬貨の半片を投げてよこした。表には光と正義の女神イシュタル、裏には暗黒の魔神アスモデの絵が刻まれている。
 「わたしたち商人にも共同体があります。それも国家も大陸をも超えるようなものがね。困ったことがあったら、これを持って商店をお訪ねなさい。あなたの名を伝えてくれれば、わたしの名など出さなくとも、すぐに迎えに行きましょう、この大陸のどこにいてもあなたを待たせませんよ」
 彼女は頷いた。右手を上げると、硬貨が陽光に鈍くきらめいた。
 「ありがとう。縁があったらまた会おう!」
 ジャックは名残惜しそうに櫂で岸壁を押した。小舟はまた波止場を離れてゆく。
 叫んだグランディーナも赤銅色の髪をひるがえして、フェルナミアの町の方へ歩いていく。
 波が血塗れた波止場を洗った。
 いままで隊長の死体と、グランディーナとをかわるがわる見ていた帝国兵たちは、ジャックの小舟が沖の帆船へと戻っていき、グランディーナも港町へ向かうにいたって、ようやく重たい腰を上げた。
 彼らを頭ごなしに押さえつけていたくびきが突然外れたのだ。
 彼らは戸惑っていた。
 自分たちを鮮やかに海にたたき落とした娘の出現に、そして彼女の言葉に。
 彼らはゼテギネア帝国しか知らなかった。
 この大陸にかつて5つの王国、ゼノビア、ドヌーブ、ホーライ、オファイス、ハイランドがあって、このヴォルザーク島がゼノビア王国の一部であったことも、みんな両親の代の昔話にすぎなかったのだから。
 ところが、グランディーナと呼ばれた娘は、そのゼテギネア帝国を否定するどころか、倒すとまで言い切ったのだ。
 いいも悪いもゼテギネア帝国しか知らぬ彼らにはまさに青天の霹靂(へきれき)であった。判断しようにも何も思いつかない。
 いきなり、1人の若者が剣を抜き、静かに町に向かうグランディーナの背後から襲いかかった。
 相も変わらず彼女を見守る人びとのなかから悲鳴があがった。
 しかし、大上段から振りおろされたそれを、彼女は平然と刀の柄で受け止めた。
 振り返った目は涼しげで、とても刃がかすって頬に血を垂らしているとは思われなかった。
 「あっ!」
 彼はまだ若かった。あるいは、20前後に見えるグランディーナよりも若い、少年兵と呼んでも差し障りのないような年頃であった。
 彼は吸い込まれるようにグランディーナの目を見つめ、剣を握った手が激しく震えていることにも気づかぬ様子だった。
 「命を粗末にしない方がいい。ゼテギネア帝国になんら恩義を感じているわけではあるまい」
 彼は答えなかった。群衆のなかから彼のものらしい名を呼ばれても、反応はない。
 グランディーナは後ずさり、少年の刃の下から刀を抜いた。
 彼がバランスを崩し、つんのめって無様に倒れても笑い声はあがらない。
 ところが逆に、そのことが彼にますます居場所を失わせているようだった。
 「ヴィリー」
 もう一度彼の名を呼びながら、1人の中年女性が思いきって人びとの前に出てきた。その瞬間から、彼女は大勢の1人ではなくなる。
 グランディーナは彼女に目をやった。
 「おまえになんかわかるものか」
 震える手で、彼、ヴィリーは剣を握りなおした。
 「俺たちがどんな思いであいつの下にいたのかなんて、おまえにわかってたまるかぁ!!」
 ヴィリーは無茶苦茶に剣を振りまわした。
 グランディーナはその母親をかばいつつ、まるで子どもでもあしらうように剣を避けた。
 「ヴィリー!」
 悲鳴にも似た母親の絶叫に、狂ったような動きのヴィリーの手が止まった。
 彼が顔を上げると、グランディーナと目が合った。食い入るような母親の視線とは合わせようとしない。
 「気が済んだか。ならば教えてもらいたいことがある。ゼテギネア帝国を倒すために私は来た。ヴォルザーク城へはどう行けばいいんだ?」
 「ヴォルザーク城?!」
 その名に、人びとの間にざわめきが広がった。それは驚きと恐れとを含んでいるようだった。
 だが答えは返らず、グランディーナは根気強く、同じ問いを口にした。
 「私はヴォルザーク城に行きたい。フェルナミアからどう行けばいいのか、道を教えてくれ」
 人びとはなおもざわめいたが、なかなか返事は出てこなかった。
 やっと口を開いたのは、元帝国兵の1人だ。
 「北の門から街道が続いている。ずっと北上して橋を越えてから分かれ道を西に行けば、じき廃城が見えてくる。それがヴォルザーク城だ」
 帝国兵たちは皆、武器も鎧も捨てていた。
 「でも、あの城にはよくない噂しかない。帝国を倒すったって、いったい、あんた1人でどうするつもりなんだ?」
 「あてはある。私はそのためにヴォルザーク島に呼ばれた。ありがとう。騒がせたな」
 グランディーナは身を翻した。ヴィリーの剣がかすめた傷は、もう血も乾いていた。
 「待って! 俺も一緒に連れていってくれ。俺も、ゼテギネア帝国と戦いたいんだ!」
 「俺もだ」
 グランディーナが行くと群衆は道を開けた。
 そのうちの幾人かは狼狽(うろた)えて、熱にうなされたような若者たちと彼女とを見比べている。
 だが、グランディーナは立ち止まらなかった。よどみない歩みで目的地へ向かっていく。
 その後を、帝国の兵士だった若者たちがばらばらと追った。なかには戻っていって、捨てた武器と鎧を拾ってくる者まであるほどだ。
 フェルナミアの出口で、とうとうグランディーナは立ち止まった。
 突然振り返ると、目にも留まらぬ速さでいきなり先頭のヴィリーに斬りかかった。
 悲鳴があがったが、誰もがすぐに彼女が斬ったのは鎧だけであったことに気づいた。彼の一度も実戦にさらされなかった鎧はもう使いものにはならないだろう。
 「帰るんだ。本当の戦争はこんなものじゃない」
 その一言に彼らはぞっとした。
 ゼテギネア帝国から派遣され、1人で威張り散らしてた隊長とは明らかに違っていた。誰もが隊長は嫌いだった。
 だがグランディーナは、彼らとはそもそも立つところ、生きて呼吸している空気さえも違っている。
 彼女は苦笑いを浮かべた。だが、次の瞬間にはもうヴォルザーク城目指して歩き始めていた。
 あとを追う者は今度は1人もなかった。
 グランディーナの姿は、一度もフェルナミアの町を振り返ることなく、街道の彼方に消えた。
 一方そのころ、フェルナミアの沖合からようやくジャックの帆船が、ヴォルザーク島を離れるべく動き始めていた。
 「まったく、〈何でも屋〉のジャックともあろうお人が、あんな娘のいったいどこを気に入ったって言うんですかい?」
 「あなたたちには女性を見る目ってものがないんですねぇ」
 そう言いつつ、彼は形のよい髭をなでつける。
 「彼女は魅力的ですよ、すこぶる興味を覚えますねぇ。女性は特定しないのがわたしの主義ですが、彼女だけは別格にしてもかまわないでしょう」
 「あの、触れば怪我しそうなところがですかい? まるで抜き身の刃だ、女の格好をしてたって、とうてい女になんか見えやしないでしょうともさ」
 「おやおや、いくらあなたたちでもこれ以上彼女を侮辱することは許しませんよ。その切れそうなところも含めて、わたしは彼女が気に入っているんですからね。でもそんな気持ちに気づいてもらえないとは、せつないですねぇ。いやいや、気づいていながら彼女のことだ、己に課せられた使命に狩り立てられて、女性ならば誰もが憧れる、美しく着飾るということを見まいとしているのかもしれません。誰ですか、いつまでも笑っているのは?
 とは言うものの、去っていった者をいつまでも嘆いていてもしょうがありません。我々も行くとしましょう。ゼテギネア帝国でもたんと稼がせてもらわなければ〈何でも屋〉の名が泣こうというものですからね。それに彼女とはまたきっと会えますとも。
 さぁ、回り道をしてしまいましたが、マラノへ向かいますよ!」
 フェルナミアの人びとは、今日という日を忘れなかった。
 グランディーナの言ったとおり、この日を境にゼテギネア帝国に反旗を翻す戦いは始められたのだし、そのきっかけは、陽光にきらめく沖合に現れた、1隻の帆船だったからだ。
 けれども、彼らのうちのほとんどは、生涯〈何でも屋〉のジャックの名を聞くこともなかったし、支配者がゼテギネア帝国から変わっても、生活がそれほど変わるわけでもないのだ。
 街道をほとんど休むことなく歩きとおしても、グランディーナがヴォルザーク城とおぼしき城の前に立ったのは、辺りもだいぶん暗くなってからのことだった。
 城は西に突き出た岬の根元にあり、城の周りには人家が見あたらなかった。
 グランディーナは、半壊した城門をくぐり、主人を失って久しい中庭に踏み込んでいった。
 だが彼女は、すぐにこのまま城中に入っていくことの危険性を察していた。灯りもないうえに、そこらに瓦礫が散乱したままになっている。
 グランディーナはそこで、暗がりに形をたどれる城に近づくと、その入り口から大音声に呼ばわった。
 「ウォーレン=ムーン! どこにいる、グランディーナだ! 私は来たぞ!」
 反響がいつまでもいつまでも聞かれた。
 しかし城内からは物音がせず、彼女が再度大きく息を吸い込んだ途端、入り口のずっと奥に灯りが見えた。
 その光のなかでたどることのできる人影は、グランディーナの出逢ったあの老人に似ていた。
 灰色の長衣に杖をついた、旧ゼノビア王国に仕えた占星術師と名乗ったウォーレン=ムーンに。
 「あなたがグランディーナですか?」
 「そうだ。あなたがウォーレンだな?」
 「そのとおりです。ようこそ、ヴォルザーク城へ。さあ、光を見つけられてはことです、わたしの部屋へ来てください」
 老人の招くままにグランディーナは階段を下っていった。
 さすがに彼が出入りに使っている箇所はきちんと瓦礫も片づけられていたが、城の内部でもあちこちで石が外れたり落っこちたりしていた。
 地下はさらに暗い。遠い昔、この城の牢があったにちがいない。壁には古ぼけた黒っぽいしみが残り、蜘蛛の巣は放置された骸骨まで飾っていた。
 「改めてご挨拶申し上げましょう。わたしはウォーレン=ムーン、ゼノビア王国に仕えていた占星術師です。よくこんな辺境までおいでくださいました」
 グランディーナは素っ気なく頷いた。
 「この城には誰もいないようだな。ウォーレン、あなたと出逢ってからもう3ヶ月は経ったはずだ。いったい、いままで何を−−−」
 「待ってください。わたしがあなたに逢ったのは3日前が初めてです。あの翌日には皆に連絡をとりましたが、3ヶ月前ではありません」
 ウォーレンの言葉に、グランディーナは浮いた腰をまた下ろした。
 「3日前にお会いしたばかりだというのにあなたの到着が早いと思いました。ゼテギネア大陸の外から来られたのでしょう?」
 「そうだ。歩きと船で3ヶ月かかった。船がなければもっとかかっただろう。3日前など、私は船の上にいたところだ。それで? 3ヶ月前が3日前でもそれだけの時間はある。いまだ人の1人もいない理由にはなるまい。私をリーダーに祭り上げ、反乱軍を結成すると言ったな。まさか考えが変わったのか」
 グランディーナの口調は淡々としたものだったが、ウォーレンは目を伏せた。
 「そうではありません。彼らの心は揺れているのです。それにあなたの到着にはまだ時間がかかると思っていましたから、ゆっくり考えたいとも言っていました。あなたを疑っているわけではありません。ただ、彼らも逃亡が長い、神経をすり減らしてもいるでしょう。なかにはゼノビア王国の名を捨てた者もいます。ゼテギネア帝国のもとで働かざるを得ない者も少なくはありません。それにこれはゼノビア王国の名を冠せられる最後の戦いとなりましょう。失敗すれば我らは捕らえられ、命の長らえることもありますまい。その事実が重ければ重いほど、あなたを担いで立ち上がることを恐れる者は少なくないのです」
 「あなたはそうは見えないな。だがウォーレン、私はもうヴォルザーク島にいるのだし、時間を無駄にしたくない。フェルナミアで少し派手にやった」
 「それは、どういうことですか?」
 「帝国兵を倒した」
 「あの町には6人ほど帝国兵がいたはずですが、その全員をでしょうか?」
 「斬ったのは隊長だけだ。ほかの連中は海に落として、鎧を1つ壊した」
 「彼らには何と?」
 「ゼテギネア帝国を倒す、ヴォルザーク城に行くと言った。ここへの行き方も知りたかった。彼らは私についてきたがったが断った。まともな剣の振り方も知らないような子どもばかりだ。むざむざ命を落とすことはあるまい。鎧を壊したのはその時だ」
 「そうですか。グランディーナ、我々の仲間はこのヴォルザーク島中に潜伏しています。フェルナミアでのことも、わたしのもとにはまだ何の報せもありませんが、きっと誰かが見ていたにちがいありません。明日にもわたしのところへも知らせは届きましょう」
 「だがその誰かは、いるのかどうかもわからぬ間諜に脅えているのじゃないか」
 「それも無理からぬことです。ゼテギネア帝国の残党狩りはそれほどに厳しいものでした。人の善意さえ疑わねばならぬような時期が長くつづいたのです。どうか彼らを臆病者と責めないでください。彼らに必要なのはきっかけなのです。彼らとて戦う意志を失ってしまったわけではないのですから」
 「この島には、フェルナミア以外に幾つ町がある?」
 ウォーレンは筆をとり、墨でもって机上に簡単な地図を描いた。
 フェルナミア、ヴォルザーク城、ダスカニアがヴォルザーク島本島にある町の全てだ。
 島の中央部が山岳地帯のヴォルザーク島は、その辺境という位置の不便さもあって人口の増えぬところである。大した産業も知られていない。
 最後にウォーレンは離れ小島にあり、帝国軍には知られていないはずの隠れ里ゼルテニアを描いた。ダスカニアの北西にある。
 彼はまずゼルテニアを指し、開口一番に言った。
 「ここには、わたしと同様に皆をまとめてきたランスロットがいます。彼はゼノビア王国騎士団の数少ない生き残りで、ゼルテニアに潜む前はゼテギネア大陸を離れて傭兵として各地を放浪していました。彼はわたしの賛同者です。まだゼルテニアにいますが、ランスロットが立てば、皆の気持ちも奮い立たせられるかもしれません」
 グランディーナの視線はゼルテニアに向けられ、それから残るダスカニア、ヴォルザーク城、フェルナミアを見た。
 「では、まずランスロットに会いに行くとしよう。ダスカニアに行くまでに街道以外の道はあるか?」
 「かつては海沿いに行くことができましたが、いまはかろうじてたどれる踏み分け道があるぐらいです。街道を戻ってもそれほど時間は違わないと思います。それにダスカニアにも帝国兵がいます。帝国から派遣された兵士以外は地元で徴集された若者ばかりですのでフェルナミアの兵を難なく片づけたあなたならばそれほど手こずりはしないでしょうが。お気をつけて」
 「私は夜明けに発つことにする。あなたもランスロットに会いにいかないか?」
 「いいえ、わたしは彼には会ったばかりです。それに皆がここへ来ることになっていますから、留守にするわけにもいきません。あなたのお帰りをここで待たせていただきましょう」
 「出かけるまで私は外で休ませてもらう。狭いところは好きじゃない」
 ウォーレンは頷いた。それから、グランディーナを追って外に出た。
 彼女は中庭にある壊れた噴水のところで立ち止まっていた。
 「この島は星がきれいだな。あなたの言っていた〈啓示の彗星〉というのはあの赤い星のことか?」
 「ええ。ラシュディやエンドラもきっと見ています。彼らとて、ゼテギネア帝国がこのままの形で存続しようなどは思ってもいないでしょう」
 「ラシュディにエンドラか」
 ゼテギネア大陸の者で、魔導師ラシュディの名を知らぬ者はない。
 五英雄の1人であり、大陸一の賢者と呼ばれ、盟友グランを裏切り、軍事国家ハイランドの女帝エンドラとともにゼテギネア大陸を蹂躙した稀代の魔導師。
 神聖ゼテギネア帝国を興し、エンドラがその帝位に就いてからは、彼女の補佐役として、現在も帝国中に影響力を持っている。ゼテギネア帝国の強大さは、なによりラシュディがあってこそだ。
 けれど、ウォーレンがそんなことを考えている隣で、グランディーナはもう寝息を立てていた。
 膝を抱えて、曲刀は右側に置かれている。3日前の出逢い以上に素っ気ない態度だ。
 それでもウォーレンは、彼女の眠りを妨げぬようにそっと立ち去った。
 明日の夜にはグランディーナはランスロットに会っているのだろう。
 翌朝、グランディーナの出ていったずいぶん後になってから、数人の見知った顔がウォーレンを訪ねてきた。そのなかには、ヴィリーを始めとする帝国兵だった若者たちも混じっていた。
 「彼女は海沿いにゼルテニアに向かっています」
 開口一番に彼はそう答えた。
 「ウォーレン殿、彼女があなたの仰った我らのリーダーなのですか?」
 一行のなかでいちばん年嵩の男が訊ねる。その息子を伴って、古びた武器と鎧を身につけていた。
 「わたしはそのつもりですし、ランスロット殿の了解も得ています。だが皆さんは反対のようでしたね。彼女の正体もわからず、本当の意図など知れたものではないと。また彼女はわたしがあなた方に話した時にはゼテギネア大陸のどこにもいませんでした。ヴォルザーク島は辺境です。ここまで来るのに何ヶ月もかかるでしょう。だから考える時間もほしいと仰られた。
 ですから彼女はゼルテニアに向かったのです。わたしに皆を説得できなければ、彼女自身にリーダーとしての素質を示してもらうよりありませんから」
 すると、若者の1人が口を挟んだ。
 「俺たちはそんなこと全然知りませんでした。でも、彼女が俺たちを解放してくれたんです。帝国の隊長を倒したということだけでなくて、本当に俺たちは初めて戦うということを知りました。だけど彼女は、俺たちに帰れと言いました、俺たちがついていっても確かに足手まといかもしれない。でも、いままで帝国の権力をかさにきて嫌われ者だった隊長と一緒になって威張っていたのも俺たちなんです、いまさら、どんな顔をして家に帰れるっていうんでしょう?!」
 「あなた方のことについては、彼女の判断を仰ぐとしましょう。この前も申し上げたようにリーダーはわたしではないのです。それまでここで休んでいかれますかな? それにわたしは、昨日フェルナミアであったことを簡単にしか知りません。どなたか詳しい話を聞かせてはもらえませんか」
 それに応えて、誰からともなく声が上がった。
 集まった人びとに、もはや迷いはなかった。
 ヴォルザーク城より海沿いにダスカニアへとたどる道は、ウォーレンの言ったとおり、人影ひとつなく、まったくさびれていた。
 グランディーナが、ようやくダスカニアの町を見下ろす高台に至ったのは、その日の午後も遅くなってから、夕方といってもいいような時間になってからのことだった。
 見下ろしたダスカニアの町はフェルナミアよりも幾分大きいようで、夕餉の支度をする煙がいくつも立ち上っている。
 グランディーナは真っ直ぐにダスカニアへ向かった。
 少し遅れて、5人の帝国兵が南門から出てきた。先頭の1人以外は、フェルナミアの少年兵と同じくらいの若者たちだ。
 「止まれ!」
 「武器の所持は鞭打ち刑だ!」
 「できるものならやってみろ。だがただで取れると思うな」
 グランディーナはことさらに挑発するように曲刀を抜きはなった。その仕草に何人かがたじろぐ。
 けれども先頭の1人だけは挑発に乗ってきた。その男も曲刀を携えている。
 「なんのつもりかは知らぬがこんな田舎でおまえのような奴に逢えようとは思わなかったわ。娘! 後悔ならあの世でするがいい、帝国への反逆は死罪に値するのだからな!」
 「それはこっちの台詞だ!」
 グランディーナも帝国兵も同時に飛び出した。
 2人の刀が激しく打ち合い、また離れる。
 残る若者たちは闘いに加わろうとせず、1人が脱兎のごとくダスカニアの町中に戻っていった。
 再度、グランディーナと帝国兵とは打ち合った。
 刀を合わせるうちに余裕しゃくしゃくだった帝国兵の顔に、焦りの色が浮かんだ。
 押されているのは彼の方だ。その動きは次第に防戦一方になっていった。
 ついにグランディーナがとどめを刺さんと刀を振り上げたとき、彼の悲鳴にも似た叫びが彼女の手を寸前で止めた。
 「た、助けてくれ! 降参だ!」
 彼は刀を捨てて、地べたに頭をこすりつけた。
 「それならばヴォルザーク島より去れ。今度武器を持って現れた時は容赦しないと思え」
 「は、はいっ!」
 男がよろめきながら立ち上がった。
 だが、彼女はそんな輩にはもう無関心で、一部始終を見つめていた若年兵にも言い放った。
 「あなたたちも同じだ。武器を捨てて家に帰るがいい。その剣は−−−」
 いきなり背後から無言で斬りかかられた刀をかわして、振り返ったグランディーナの曲刀は卑怯者を一刀両断に斬り捨てていた。
 男の身体が崩れた。彼女はそれと血飛沫とを避けて、刹那、その死体を見下ろした。それからグランディーナは改めて帝国兵の方に向き直った。
 「助けてくれぇっっ!」
 「バロゥが殺られたぁぁっ!!」
 連中は一斉に逃げ始めた。
 その向こうから別の帝国兵がやってくる。
 グランディーナも歩き出した。指先で刀を拭いながら、逃亡する兵士たちの先にいる者をしっかりと見据えていた。
 その時、斧が一閃した。
 逃げてきた兵士が1人倒され、残りの者は前に斧、後ろに曲刀の迫るのを恐れて立ち止まった。
 「神聖ゼテギネア帝国に臆病者は要らん。失せろ、屑どもめ!」
 角のある兜をかぶったその帝国兵は、柄の少し長い両手持ちの斧を構えた狂戦士だった。
 無精ひげの下から吐き出された怒号は、浮き足だった若い兵士たちを一瞬で統括しなおすだけの迫力を持っており、このヴォルザーク島に赴任した帝国兵のなかではいちばん手強そうでもある。
 グランディーナは唇をかみしめて、自分も刀を構えなおした。相手が近づいてくるので彼女は立ち止まったが、その視線は一度だけ味方に倒された兵士に向けられた。
 「女、おまえの用向きはなんだ! 剣しか取り柄のないバロゥを一撃で倒したそうだな。士官の話なら口をきいてやらぬこともないぞ」
 「私の目的は貴様を倒し、ゼテギネア帝国を打倒することだ!」
 「ぬかしたな!」
 狂戦士は一声吠えて斧を振り回した。その廻りを囲んでほかの兵士が立つ。
 「命が惜しい奴はそいつから離れているがいい。私の相手はその男だけだ、あなたたちがどうしようと刃向かわぬ限り、興味はない」
 「かまわねぇからやっちまえ! 何様だか知らねぇが、そのすました面の皮ひんむいてやる! ついでに、よっく可愛がってやるからありがたく思え!」
 帝国兵は狂戦士の命令に従うことにしたようだ。各々剣を振りかざし、一斉にグランディーナに斬りかかってきた。
 1人目の剣を強引にはじき飛ばす。
 2人目は返す刀で受け、力任せに押し返した。
 3人目の剣を避けて、4人目には柄で突き上げる。
 そのあいだに狂戦士が近づいてきていた。
 彼女は素早く刀を振り上げた。
 目にも止まらぬ早業でそれは振り下ろされ、グランディーナ自身と周囲を巻き込む鎌鼬(かまいたち)となってむき出しの肌を無数に切り裂いた。
 だが、振り下ろされた刀の行く先にいた狂戦士が受けたのは鎌鼬どころではなかった。風は重たい刃となり、兜を砕き、鎧さえも無用の長物となった。
 血反吐を吐いて狂戦士は前のめりに倒れ、それきり動かなくなった。
 残る帝国兵の度肝を抜くには十分すぎた。ましてや彼らとて、グランディーナに近づきすぎていて鎌鼬から逃れることはできなかったのだ。
 「去れ! これ以上ゼテギネア帝国につくとあらば、あなたたちも斬る」
 そんな言葉は蛇足であった。連中は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
 大きく息をひとつ吐き出すと、グランディーナは刀を拭い、鞘に収めた。
 フェルナミアのようにいつの間にか民衆が遠巻きに見ている。
 そのなかから1人の女性が現れた。短い茶色の髪に真っ直ぐな姿勢の生真面目そうな女性である。
 グランディーナは彼女に視線をやった。
 その眼差しに彼女は一瞬だけ歩みを止めたが、すぐそばまで近づいてきた。
 「恐れ入ります。グランディーナさまですね?」
 「そうだ。あなたは?」
 「これは申し遅れました。私はマチルダ=エクスラインと申します。あなたのことをウォーレンさまからお伺いいたしておりましたわ」
 自己紹介するとマチルダは微笑んで、きれいな右手を差し出した。左手は形良く胸元に置かれている。彼女の育ちの良さを伺わせるしぐさだ。
 「それは、私をリーダーと認めて、ともにゼテギネア帝国と戦うということだな?」
 「ええ。そのとおりです」
 グランディーナはわずかに表情を和ませ、マチルダの手を握り返した。
 「ならば話が早い。私はゼルテニアの里に行ってランスロットに会いたい。案内を頼めるか?」
 マチルダは頷き、遠巻きの群衆を振り返った。
 「ゼルテニアに行くには船が要りましょう。いまから向かえば今日のうちに入れます。少しお待ちを、グランディーナさま」
 「私に敬語は不要だ。私は戦争屋であって、あなたに敬意を表されるべき人間じゃない」
 マチルダは少し驚いたような顔をして、微笑んだ。
 彼女が手を挙げると何人かが応じた。ウォーレンが話していたゼノビア王国騎士団の生き残りだろう。
 そのうちの2人が港の方に走っていくのを確認して、マチルダは再度グランディーナを振り返った。
 「私たちも港へ行きましょう。ですがその前に、あなたの傷の手当てをされた方がよくありませんか? 僭越ながら私はロシュフォル教の神官です。手当の心得もありますわ」
 「もう血は止まっている。気遣いは無用だ」
 それでマチルダは黙って先に立った。
 人びとの視線のなか、2人はダスカニアの町中を通り過ぎて港に出た。
 ダスカニアの町はフェルナミアよりも少し規模が大きかったが、それでも5分とかからぬ距離だ。
 港には小さな帆船が待っていた。マチルダとグランディーナが乗り込むと船はすぐに港を離れて、沖に見える島影を目指したのだった。
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