Stage Seven「皇子」

 「久しぶりだな、ジャック」
 「よくわたしだとわかっていただけましたね、グランディーナ」
 「ほかに四頭立ての馬車を持っていそうな人間に心当たりがない。万が一間違っていても対処はそれから考えても遅くないだろう」
 「あなたらしい判断です」
 ヴォルザーク島で別れた時とジャックは変わっていなかった。後方に撫でつけた艶のある黒髪にちょび髭、フリルのブラウスまで同じものだ。
 御者台には御者と、ジャックの行くところにはどこにでも同行する用心棒、バンが座っていたが、広い車内にはジャックしかいない。
 彼の向かいにグランディーナが腰を下ろすとジャックは問答無用で右手を取り、軽く口づけた。
 「お久しぶりです、よくわたしのことを思い出してくれましたね。硬貨のことを聞いた時にすぐわかりましたよ、あなたが呼んでいると。ヴォルザーク島でお別れしてからというもの、あなたのことを思わぬ日はありませんでした。それが1ヶ月くらい前からでしょうか、あなたたちの噂がマラノにまで届くようになったのは。ゼノビアを落としてから帝国もあなたたちの存在を無視できなくなったのでしょうね。最近は町中にあなたの手配書まで張り出されるようになりましたよ。ところが、これが全然あなたに似ていないんです。あのような手配書が出回るなどあなたに対する冒涜というものです。金額が多少低いのは目をつぶるとしてもですね」
 「あなたは相変わらずだな。それにこんなに早く来るとは思わなかった」
 「お別れした時にわたしはあなたにこう申し上げたはずです、この大陸のどこにいてもあなたを待たせませんと。有言実行がわたしのモットーです。ですが、あなたは少し疲れているようですね。連戦連勝もけっこうですが、適当に休んだ方がいいのではありませんか? ヴォルザーク島からずっと戦い続けているでしょう?」
 「まだだ。休むなんて呑気な話はマラノを落としてから考える」
 ジャックがグランディーナの手をまた取った。武器など持ったこともないような白いなめらかな手が、荒れた無骨な手を撫でさする。
 「それで、あなたの呼び出しに取るものもとりあえず飛んできましたが、用件は何でしょうか?」
 「商人の町のことは商人に訊くべきだと思った。マラノの商人たちのことを詳しく教えてくれ。特にマラノ市最高参事会、通称、十三人会に会うにはどうすればいい?」
 ジャックの手が止まり、眉をひそめる。
 「おやおや、十三人会の名もご存じとはあなたの情報網は侮れないものがありますね。それにどうやら物騒な話が前提のようです。あなた個人の頼みならば何でも無条件に聞きますが戦争の話となりますとわたしの独断で返答するわけにはまいりません」
 「解放軍からの見返りがほしいということか?」
 「そうではありません。あなたが解放軍のリーダーとして話をされるのならば、わたしもマラノ商人の末席を汚す者として話をしなければならないということです。もちろんここでは無理ですし、わたし1人で対応できる話でもありません」
 「ならば、そういう話になる前に何をすればいいのか教えてくれ。マラノの商人たちにただ会いに行って話が進むわけがないことぐらい私も承知しているつもりだ」
 「なるほど。それでわたしを頼っていただけるとは嬉しい限りですね。ですがあなたのことだ、まさか手ぶらでここまで来てはいないでしょう? あなたの知っていることを教えてくだされば、お互いに手間も省けると思いますが、いかがですか?」
 「私が知っているのは現在のマラノの支配者が旧ゼノビア王国の貴族、アプローズだということ、マラノが旧ホーライ王国下に入るのも嫌がったことぐらいだ。それにマラノが24年前の戦争で、戦火を避けて帝国に降伏したということも知っている」
 「ああ、なるほど、最低限の知識はお持ちですね。あとは十三人会もご存じ、と」
 「十三人会について知っているのは名前だけだ。商人の代表で構成されるマラノ市参事会員のなかでもさらに有力者だけで構成されている最高権力だろう?」
 「おおむねそのとおりですが、市参事会についてはさすがのあなたにも誤解があるようですので訂正しましょう。市参事会員にはマラノ市民で成年男性ならば誰でもなれます。マラノ市民になるには市参事会の決める税金を支払い、市内に1年と1日以上住めば良いのです」
 「あなたも市参事会員なのか?」
 「ええ、もちろんです」
 「ヴォルザーク島に来た時、あなたはゼテギネアは初めてだと言ってなかったか?」
 「蛇の道は蛇、どんなことにも抜け道はあるものですよ」
 ジャックはいけしゃあしゃあと言って笑顔を浮かべる。それでグランディーナが外を眺めると馬はとうに並足になり街道を南に下っているところだった。この調子で進めば、日が暮れる前にマラノの衛星都市、北東の玄関口トリエステに着く。
 巨大都市マラノはいくつもの衛星都市を持っている。トリエステのほかに北西に位置するモンファルコーネ、西北西に位置するシャモニー、東南東に位置するモンスニーラや、ウージネ、サンベルナール、パドバといった都市群である。特に重要なのがパドバで、全ての街道は必ずここを通ってからマラノに行く。パドバを押さえればマラノへの入り口は湖だけとなるほどだ。
 さらにトリエステからはカストロ峡谷やバルモアへ通じ、モンファルコーネからはゼテギネア大陸を東西に分かち難攻不落の要塞を擁するアラムート海峡へ、シャモニーからはバルハラ、モンスニーラからはガルビア半島へ至るのであった。
 外に視線をやったままでグランディーナは話を再開する。
 「ジャック、私たちの目的はアプローズを倒し、マラノから帝国を追い出すことだ。その後、西大陸に渡るまでマラノを足がかりにしたい。どうすればマラノを解放軍に協力させられる?」
 「あなたの最終目的はゼテギネア帝国を倒すことでしたね。ですが、その後のことはどうしていただけますか? アプローズ男爵を倒し、帝国を倒し、別の支配者に取って代わられるのでは現状と何も変わりません。戦火に巻き込まれる危険性があるだけマラノ市としてはあなた方にはご協力できません」
 彼女がジャックに視線を戻すと、〈何でも屋〉は手を組み、こちらを見つめている。
 「戦争屋に戦後の保証をしろとはあなたも無茶なことを言う。だが私が請け負ったのはゼテギネア帝国を倒すまでだ。その後のことは知らないし興味もない」
 「ですが、それではお話にならないことはあなたも承知しているでしょう? 良くも悪くもあなたは反帝国の最大勢力を率いておいでだ。知らないの一点張りでは誰も納得しませんよ」
 「さすがにあなたは口がうまいな。だが私は帝国を倒した後までこの国に残るつもりはないし、国の形に口を挟むつもりもない。私が下手に口を出せば、後に残る者たちには面倒なことにもなるだろう。それならば半端な約束はできないし、しない。マラノはこちらで勝手に調べて攻めさせてもらう。アプローズもすでに私たちの襲撃に備えているだろう。マラノが戦火に巻き込まれることは避けられまい」
 「あなたも頑固な人ですね。そしてこちらを試すような残酷なことを平気で仰る」
 「マラノに被害を出すことは私も本意ではない。だが攻略に手間取ったり解放軍に被害が生じるのもごめんだ。マラノとの交渉が決裂すれば、協力は期待できないだろう。だがマラノをそのままにして帝国の懐を潤しておいてやるつもりはない。マラノは攻撃する。その際に優先順位の低さはマラノということになるが、そのための代償が大きいことも承知の上だ」
 「そのためにわたしを私的に呼び出したというわけですか。どうやらわたしは、あなたの戦争屋という部分をかなり軽く見ていたようですね」
 言ってからジャックは大きなため息をついた。だがその顔には満面の笑みが浮かんでもいる。
 「ですが、あなたが相変わらず打算がないのでわたしは嬉しいのですよ、グランディーナ。まったくあなたときたら、お会いした時から変わりませんねぇ」
 「これが性分だ、いまさら変えようもあるまい。それで公人としてのあなたの意見は聞いたが、あなた個人の意見はどうなんだ?」
 「おや、そのように受け止めていただけるのですか。わたしもまだまだ、あなたに脈ありと期待してもいいのでしょうかね。ですが、まだ公人として話してもよろしいですか。あなたに国を預けることになりそうな方の心当たりはあるのでしょうか?」
 「1人だけいる。旧ゼノビア王国のトリスタン皇子が生きているそうだ。ただ、アヴァロン島に行ったことまでは知っているが、その先は知らない」
 「トリスタン皇子ならばお供の方とマラノにいます。お会いできるようお膳立てしましょうか?」
 「私は彼の臣下じゃない。こちらから会いに行くつもりはない。それで満足か?」
 「いいえ、トリスタン皇子も一緒に来てください。残念ながら十三人会は戦後の約束も取りつけていただけなければ、会ってもくれないでしょうからね」
 「それならばかまわない。ジャック、トリスタン皇子と会えるように手配してくれ」
 「日にちと場所はこちらで指定してもよろしいのですか?」
 「アプローズの結婚式が炎竜の月24日だと聞いた。マラノ襲撃はその日に合わせたい。できるか?」
 「今日が17日ですね。それでは明日、トリエステでお会いできるよう手配しましょう。時間は正午ごろ、いかがですか?」
 「ずいぶん手際がいいんだな。まるで初めからあなたの手の上で踊らされてるようだ」
 「お気に召しませんでしたか?」
 「とんでもない。あなたには感謝している。だがそこまで手際がいいのなら、もう1つ頼まれてくれ」
 「何でしょうか?」
 「十三人会の中心人物と言われるグリフレット=マッセナに会いたい」
 「グリフレット殿とはまた大きく出ましたね。理由を訊いてもいいでしょうか」
 「十三人会1人ずつに会って外堀を埋めていくのは私の趣味じゃない。それよりも十三人会の中心人物の意向を訊きたい。ラウニィーとアプローズの結婚式は7日後だ、十三人会1人ひとりに会うほどのんびりしていたくない」
 「それよりも十三人会とまとめて会える場を提供して差し上げましょう。明日以降になってしまいますが、そこでお話しなさい。あなたとトリスタン皇子がいれば、それぐらいの面子は揃うでしょう」
 「それは私人としての援助だろう。あなたの公人、マラノ市参事会員としての立場はどうなったんだ?」
 「やめることにしました」
 「さっきはあれこれ言っていたのにずいぶん変わり身が早いんだな」
 その言葉も終わらぬうちにジャックはグランディーナに近づき、その手を恭しく取ったので彼女も驚く。
 「わたしの気持ちも察してください。2ヶ月ぶりにお会いできたというのに、あなたはアプローズ男爵とマラノのことで頭がいっぱいなんですからね。ですがわたしも無理なことは言いません。あなたにとってマラノがそれだけ大きい目標だったということでしょうからね。マラノを落としてからでけっこうです。1日だけわたしに黙ってつき合ってください」
 「そうしないと十三人会に会わせないとでも言い出すのか?」
 「わたしはそんな卑怯なことは言いませんよ。いかがです?」
 「そう言われると受けざるを得ないな。先の予定もあるが、1日ぐらいならあなたにつき合ってもいいだろう。だがあなたも物好きだ。戦争を離れた戦争屋に何の用がある?」
 「それは当日までのお楽しみです」
 ジャックは楽しそうに微笑んだが、グランディーナの関心はすぐに失せる。
 「もう1つ教えてくれ。今度の結婚式にはエンドラ以下、四天王まで招待されていると聞いた。だが花嫁が逃げ出した事実がある以上、大将軍も来るか怪しいだろう。もしもここでラウニィーがアプローズのもとに戻れば、式は予定どおり実行すると思うか?」
 「おそらくは」
 「それだけの大物を招待しておいて花嫁が逃げられて、客も来ないのではアプローズの面子は丸つぶれじゃないのか?」
 「式を延長すればいままでの準備が無駄になります。それよりはウィンザルフ家との結びつきを大事にすると思いますね。延長したところでそれだけの招待客が本当に来るとも限りませんし、結婚という既成事実さえ作れば、アプローズ男爵はウィンザルフ家の外戚となりますから」
 「ありがとう。参考になった」
 「ところであなたは自分の手配書を見たことはありますか?」
 「ディアスポラから見始めたな。それがどうかしたのか?」
 「あの似顔はあなたとは似ても似つかぬでたらめですが、1つだけ事実を言っています。あなたの髪の色はさすがに帝国も間違えようがなかったのでしょう。あなたがそのままマラノに来れば、手配書のことを思い出す者は少なからずいると思います。十三人会に会う前に何らかの手段を講じた方がいいでしょうね。もっともあなたが解放軍のリーダーとして堂々とマラノにいらっしゃると言うのなら話は別ですが」
 「そんなことをするのは時期尚早だ。解放軍の存在が知られるのは時間の問題だろうが、まだアプローズを挑発する気はない。それはそうと切るのは、嫌だな。髪型を変えては駄目か?」
 「わたしは髪の色を変えた方がいいと思います。明日にでも染め粉を届けさせますよ」
 「それぐらいどこの商店でも買えるだろう。あなたの手を煩わせるには及ばない」
 「いいえ、せっかくですからあなたに似合いそうな色を選ばせてください。あなたと別れてからわたしはずっとあなたに似合う服装を考えていたのですが、万の衣装でも足りない有様で実は自分の想像力の貧困さにほとほと頭を抱えていた次第でして」
 「剣を振るしか能のない私にあなたも物好きなことを言うな。だが解放軍にもあなたと似たようなことを言う人がいる」
 「おやおや、先を越されてしまいましたか。ですが、いい傾向です。ヴォルザーク島で別れた時よりあなたの表情が柔らかくなりましたよ。良いお仲間に恵まれたようですね」
 「ああ、そうだな」
 グランディーナは立ち上がり、馬車の扉を開けると外に飛び降りた。
 「フラヴィオまで送りますよ!」
 「1人になって考えたいこともある。また明日会おう、ジャック!」
 〈何でも屋〉は名残惜しそうに手を振り、馬車は速歩になって街道を南に走り去った。
 彼女もいつまでもそれを見送ってはいない。来た道を即座に引き返していった。
 結局、グランディーナがフラヴィオに着いたのは辺りが夕闇に包まれ始めたころ合いだった。解放軍も到着しており、夕飯を支度する匂いが辺りに漂っている。
 「グランディーナ、全員、無事に到着しています」
 「ウォーレン、ランスロット、アッシュはどこにいる? あなたたちに話がある」
 「アッシュ殿はラウニィー殿やノルン殿と一緒だと思います」
 「アッシュのところに行こう」
 「承知しました」
 間もなくアッシュは見つかったが、一緒だというラウニィーやノルンの姿は見えなかった。
 「何かあったのか?」
 「明日、あなたたちに会ってもらいたい人物がいる。誰かは言うまでもないという顔だな」
 「トリスタン皇子であろう。この顔ぶれを見ればほかにはあり得ない。マラノにおいでだったのか?」
 アッシュが意外と落ち着いているので、ウォーレンもランスロットも動じたところは見せられない。
 「明日の昼ごろ、トリエステで〈何でも屋〉のジャックのお膳立てでトリスタンに会う。あなたたちに問題がなければ話はそれだけだ」
 「お会いしよう。アヴァロン島では皇子の消息も探せずじまいだったし、バーデンドルフ卿たちとの約束もある。そなたたちは良いのか?」
 「覚悟はできています。それにこの戦いが終わるまで、わたしの剣は彼女に捧げられています」
 アッシュが頷いてみせ、ウォーレンも同意した。
 「明日はジャックが迎えに来るかもしれないが、来なかった時はトリエステに先行する。ところでラウニィーはどこにいる?」
 「ノルン殿と夕食を取りに行かれた。そろそろ戻ってくると思う」
 「それならば待とう」
 「マラノ攻めの話はいつするんだ?」
 「明日次第だ。トリスタンがいなければ話にならない。そう言えば、地理は覚えたか?」
 「6つの地区の位置関係は頭に入ってるが、マラノに来るのは初めてだ。地図なしで歩けるかな?」
 「描いてみろ。あなたとカノープス、ここにいる2人とケビン、チェスターには地理は把握していてもらいたい」
 「お2人とカノープスを呼んできましょう」
 ウォーレンが立ち、ランスロットが地面にマラノの地図を描く。
 増築を繰り返して大きくなったマラノの町は昔のゼノビアのように整然とした町並みではない。道路は複雑に入り組んでいるし、6つの地区と言っても線引きは曖昧だ。
 しかしグランディーナの手が伸びてきて、地図に加筆する。相変わらず迷いのない動きだ。マラノの地理は彼よりもずっと鮮明に頭のなかに収めているらしい。昨日のことがあったせいか字は書かなかったので、ランスロットが書き足した。
 「マラノは三重の城壁に覆われている。門はそれぞれ1ヶ所しかない。十三人会の協力が得られれば、我々は炎竜の月24日、マラノ各地区で蜂起し、アプローズを倒す。詳しい話は明日以降だ」
 ラウニィーとノルンが帰ってきたところで、グランディーナはすぐに近づいた。
 「何のご用かしら?」
 「あなたに断っておきたいことがある。この先、アプローズのもとに戻ってもらうかもしれない」
 「何ですって?!」
 持っていたパンを落っことしたのはノルンだったが、ランスロットが慌てて受け止め、ラウニィーは小鍋を抱えたまま棒立ちになる。
 「あなた、正気なの? 私はあの男から逃げ出してきたのよ。私に彼と結婚しろとでも言うつもり?」
 「その可能性があるというだけだ。あなたは結婚式を挙げてくれればいい。その隙に奴を倒す」
 ラウニィーは絶句したが、それはあとの3人も同様だ。そこへウォーレンがケビン=ワルドとチェスター=モローを伴って戻った。2人とも旧ホーライ王国陣のなかではヨハンに次いで指導者的な役割を果たしてきた。カノープスが来たのはいちばん最後だ。
 「確かに結婚式は炎竜の月24日の予定だったわ。でも、いまさら私が戻ったところで予定どおり式をあげるはずがないじゃない。招待客にはお父さまや四天王の将軍たち、エンドラさまやガレス皇子、それに賢者ラシュディまでいたのよ。私が戻ったからといって、そんな方々がいまからいらっしゃるとは思えないわ。百歩譲って彼が予定どおり結婚式を挙げるとしてよ」
 「アプローズがあなたと結婚するのはあなたがラウニィー=ウィンザルフだからだ。招待客などこの際、誰が来ようと気にはするまいし私もそんなものは期待していない。結婚式さえあげれば彼はウィンザルフ家、大将軍の外戚になる。旧ゼノビアの貴族が帝国の中枢に食い込む、その実の方が大きい」
 「知ったふうな口をきかないで!」
 「あいにくと私の意見じゃないが、打てる手は打っておきたい。それにこれはあくまでもそういうつもりでいろという話だ。あなたにいますぐアプローズのもとに帰れとは言っていない」
 「マラノなど力ずくで落とせばいいでしょう。誰に遠慮しているの? カストロ峡谷から道中見てきたけれど、あなたたちにマラノを攻める戦力がないとは言わせないわ。私とアプローズの結婚式を利用するなど、帝国を相手に常勝してきた解放軍にしてはずいぶんと消極的な策ではないのかしら?」
 ラウニィーの手からノルンが鍋を預かる。
 「マラノを落とすのにマラノを戦火に巻き込むようでは民衆の協力は得られまいし、それではこの先の戦闘がしづらくなる。帝国に比べて遙かに戦力で劣る我々には解放軍外の協力は不可欠だ。それに我々が解放軍を名乗っても帝国と同列に見られるようでは意味がない。あなたはザナドュを攻撃する際にも同じことが言えるのか?」
 「ザナドュとマラノを一緒にしないで」
 「私にとっては同じことだ。どこを攻めるにしても被害は少なく抑えたい。そうでなくては解放などという大義名分を掲げる意味がない。話はそれだけだ」
 「もしもそうなった時にはあなたたちが来る前に私がアプローズを倒してしまうかもしれなくてよ。それでもかまわないの?」
 「いや、その時はあなたの無事を願う」
 「ちょっと待って! あなたの参考になるかわからないけれど、私の感じたことを伝えておくわ。私がアプローズ男爵から逃げ出したのは彼が気に入らなかったからだけではないのよ。彼に手を握られた時、ぞっとしたわ。感情的なものではなくて、もっと本質的にあの人を拒絶しないでいられなかったの。あれがどういうものかはわからないけれど、あの人は私の知らない力を持っているに違いない。アプローズ男爵が帝国の傘下に入りたがったのは賢者ラシュディに師事するためだったとも言われているのよ」
 「ラシュディか、心に留めておこう」
 グランディーナはそう言ったが、ノルンも含めてほかの者はいまの話は理解してなさそうだ。彼女だってどれだけわかっているのかは怪しいが、解放軍のリーダーが社交辞令だけでそのような言葉を口にしないことはラウニィーもすでに察しつつあった。
 「待たせたな。明日の話が終わってからと思っていたが、せっかくだからあなたたちにはマラノ攻めの話を軽くしておく。その前にラウニィー、あなたとノルンは席を外してくれ」
 「どうしてなの?」
 「アプローズの手に落ちるかもしれないあなたは何も知らない方がいい。彼には追尾石を作り出す魔術師がついている。あなたにその気がなくても自白させられないとも限らない。それと夕飯が済んだらでいい、ヨハンのところで頭巾付の長衣を借りて目立たぬようにしていてくれ。あなたが一時でも解放軍にいたとアプローズには知られたくない」
 「私はいつ、マラノに戻ればいいのかしら?」
 「明日の晩以降だ」
 「わかったわ。行きましょう、ノルン。
 アッシュ殿、夕食をご一緒できずにごめんなさい」
 「わしのことは気にされるな」
 ランスロットの描いた地図は無事残っている。皆が地図の周りに集まり、腰を下ろした。
 「いまも話したとおり、炎竜の月24日にマラノでラウニィーとアプローズの結婚式がある。マラノはこの地図のとおり、6つの地区に分かれている。あなたたちに1区ずつ任せる。結婚式に乗じて一斉に蜂起し、マラノを落とす」
 「マラノは24年前には戦わずしてハイランドに降伏したはず、我々の蜂起になど、協力するだろうか?」
 ケビンの意見に残りの者が頷いた。彼はランスロットより年上で、首都のバルハラで壊滅的な打撃を被った旧ホーライ王国騎士団の数少ない生き残りである。
 「そのための結婚式と明日の用だ。他言無用だがあなたたちには伝えておこう。旧ゼノビア王国のトリスタン皇子とその連れを解放軍に迎える」
 「何と、生きておいでだったのか」
 チェスターがうめくようにつぶやいた。彼は解放軍唯一の剣士長で、旧ホーライ王国剣士団の末席に連なる見習い剣士だったが、ヨハンのいちばん古い仲間の1人でもある。
 「あなた方には朗報だな。ホーライ王家の方々はバルハラでの戦の時にご生存の望みはとうに絶たれている。だが、なぜ皇子はマラノなどにおいでなのだ?」
 「マラノの支配者アプローズ男爵は、元々ゼノビアの貴族です。それにポグロムの森の惨劇を引き起こした張本人でもあり、ゼノビアにとっては二重の裏切り者です。皇子には帝国以上に許し難い存在なのかもしれません」
 ウォーレンの返答にケビンもチェスターも頷いた。ポグロムの森の虐殺は広く知れ渡っているようだ。首謀者が同じゼノビアの貴族であることや、そのままゼテギネア帝国に寝返ったことなども知られる理由の1つだろう。
 「6地区の担当は決まっているのか?」
 「あなた方の分担は考えたが、細かい部隊分けはまだだ。カノープスがモンビーゾ、ウォーレンがボローニャ、チェスターがフェルラーラ、ケビンがマントーパ、アッシュにベルチェルリを任せる。私がマラノ、ランスロットは私と来い」
 「てことは、今回、魔獣たちは出番なしか」
 「いや、魔獣部隊はマラノの7つの衛星都市を落としてもらう。部隊の3分の2を同行させる。誰を行かせるかは後でギルバルドと話して決める」
 「しかし城壁からすぐのフェルラーラはともかく、マントーパやマラノにはどう侵入するつもりだ?」
 「その話は明日以降のマラノ側との話し合いで決まる。いまのはマラノの協力が得られた場合の策だ」
 「得られなかった場合はどうするのだ?」
 「極力そうならないよう願いたいが、マラノが戦場になることは避けられまい」
 「それではバルモアの二の舞ではないか。そのようなことをすれば、解放軍はこの先そっぽを向かれるぞ」
 「そうだ。だからこれは最悪の場合だ。マラノもそれは望むまいが話し合ってみなければ細部は詰められない。続きは十三人会との話し合いが済んでからになるだろう」
 「先ほども聞きしましたが十三人会とは何です?」
 「マラノ市最高参事会の通称だ。マラノには王がいない。マラノ市民から成る参事会の代表が最高参事会、13人いるから十三人会と呼ばれている」
 「変わった仕組みだな。13人もいたら意見が揃うまでだって時間がかかるだろう。市長ぐらい置いとけばいいのに」
 「昔のマラノには市長職もあったそうだ。だが権力が集中しやすいのでいまの制度に移行したらしい」
 グランディーナが立ち、ほかの者も倣う。
 「明日はトリエステに向かう。私とアッシュ、ウォーレン、ランスロットはトリスタンに会うため先行する。先導はギルバルドに任せる」
 「承知した」
 一行が夕食を食べに野営地の中央に戻っていく途中で剣士のナッシュと槍騎士のヴァネッサとすれ違った。
 人数が増えたのでいままで1人ずつ四方に立てていた夜番を2人ずつにするようグランディーナが指示したのだ。
 「グランディーナ、寝る前にちょっとだけお暇?」
 「何だ、デネブ?」
 「何だとは御挨拶ね。あたしとの約束、忘れちゃったの?」
 「忘れるものか。だが私から騒ぎ立ててどうする? いままでの沈黙を無駄にするつもりはない」
 「あなたも健気なところがあるわねぇ。お姉さん、もらい泣きしちゃいそう」
 「あなたが泣くことじゃないと思うが」
 「冷めるようなこと言わないの。それはそうとマラノが終わったら少しぐらい寄り道できるのかしら?」
 「マラノの次にアラムートの城塞を落としたいが規模が大きいし、そろそろ皆も休ませたい。そのあいだなら問題ないと思う。アラムートを落とせれば、東大陸の主な拠点から帝国を追い払える。だが寄り道とはどこかに行くのか?」
 「んー、みんなで行く必要はないんだけど。あなただって大勢で行って目立ちたくないんでしょ? あなたとあたしと、ほかに腕の立つ人が2人もいてくれれば−−−痛いわ、グランディーナ」
 「すまない、つい」
 「いいわ、許してあげる。じゃあ、マラノが済んだら行くことにしましょ。そうね、アイーシャには必ず声をかけてね、あとの人選はあなたに任せるから」
 「本当にいいのか、デネブ?」
 「そろそろ潮時よ。解放軍がこの先も勝ち続けるにはあの人の知恵が必要だわ」
 「ああ、ありがとう!」
 「お礼は無事にあの人を助け出してからの方がいいんじゃないかしら?」
 「それならば、ついでに1つ頼んでもいいか?」
 「何かしら? まったく、あなたもただじゃ転ばないわねぇ」
 その夜、解放軍のリーダーと魔女は遅くまで話し込んでいた。
 翌朝、朝食の後かたづけも終わらぬうちに八頭立ての馬車が解放軍の野営地を訪れたが、現れたのはジャックではなく、部下だった。
 「おはようございます、グランディーナ殿。今日は主人の都合が悪く、わたしが迎えに行くよう言いつかってまいりました」
 「よろしく頼む、カラドック」
 「どうぞ、馬車にお乗りください。それと主人からこちらを預かりましたのでお渡しします。すぐに出発しますか?」
 「3人は先に乗っていてくれ。私も後から行く」
 それでアッシュ、ウォーレン、ランスロットの順に馬車に乗り込んだ。何事かと様子を見に来た者たちも、初めて見る大きな馬車に驚いている。
 いったんその場から去って戻ってきたグランディーナは小脇に地味な灰色の長衣を抱えていたが、振り返り、ギルバルドを招いた。
 「あとを頼む。それと昨日、本人たちには釘を刺したがノルンとラウニィーに見張りをつけておけ。2人とも決して単独行動などさせるな」
 「承知しました。トリエステでお会いしましょう」
 扉が閉まると馬車はすぐに出発した。
 そのあいだにも出発の準備は粛々と整えられ、やがてギルバルドとカノープスを先頭に解放軍はフラヴィオを発っていた。
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