Stage Seven「皇子」

 グランディーナとトリスタンが解放軍の本隊に追いついたのはパドバ攻撃が始まろうとする矢先のことだった。
 直前の2人の会話を聞いていた者は皇子の表情を盗み見るように伺ったが特に変化を見出した者もおらず、2人は離れた。
 カノープスの指揮のもと、じきにパドバへの攻撃が始まった。
 ここを落とされればマラノは自らの外壁に守られるだけとなる。同じ衛星都市とはいえ、トリエステよりも堅固な守りをカノープスは予想していたのだが、パドバに配置された守備隊も大した戦力ではなかった。
 「よほど自分の仕掛けた罠に自信があるんだろうな。守備隊なんて言ったってろくなものじゃねぇ。だが何でそんなに罠を使いたいんだ? ポグロムの再現ならマラノだってまともには残らねぇ。残虐って言ったって限りがあらぁな」
 「こちらに怪我人は出なかったのだな?」
 「守備隊なんて蜘蛛の子を散らすように逃げてっちまったよ」
 「最初から戦う気がないということか?」
 「まぁ、言われてみればそんな感じかな。俺たちが来たから逃げるいい口実ができたっていう」
 「まだ1人くらい捕まえられるか? その士気の低さがどこから来るのか訊いてみたい。アヴァロン島の時と少し似ているかもしれない」
 「ガレス皇子の時か。そいつは少し厄介だな。急いで探してくる」
 「私はこれからトリスタンと出かけてくる。敗残兵とはいえ無下に扱うな」
 「わかってるよ! おい、カリナ、チェンバレン! ちょっと手伝ってくれ!」
 通常の移動ではほとんど飛ぶことのないカノープスだが急いでいる時は話は別だ。遠くのカリナとチェンバレンを捉まえようと飛んでいった。
 グランディーナも立ち上がる。約束の日没はまだ時間があるが、パドバからフェルラーラまでは距離があるし、そこはいまだ帝国の支配下だ。まずマラノに侵入しなければならなかった。
 「ライナス、あなたたちはグリフォンで帰れ」
 「帰りはどうされます?」
 「いつ終わるのかも予想がついていない話し合いだ。帰りはその時に考える」
 「わかりました。お気をつけて」
 蛇の道は蛇、マラノ潜入への案内をしたライナスは同じ経路をたどって素早くマラノを出た。
 一方、グランディーナとトリスタンは武器といえば短刀しか身につけていない丸腰同然で、急いでロシュフォル教会に向かった。
 約束の日没は廻っていたが、マラノ市内にはまだまだ活気があり、大勢の人びとが表通りを往来していく。
 話に聞いたことはあってもマラノに来たのは初めてのトリスタン皇子は、どんな町とも比べものにならないその混沌と賑わいと人混みに半ば呆れ、半ば感動していた。彼の記憶にもないゼノビアはエストラーダやバーニャの話によれば、四方を城壁で囲まれ、中心に王城を抱く、グラン王の好んだ理路整然とした町並みであったという。
 だがマラノの都には理路とか整然という言葉はまったく当てはまらないにも関わらず、この熱気、この人の多さ、この無秩序さは領主の結婚式が近いという理由だけでは片づけられまいと感じる。あるいは往年のゼノビアにもこの活気があったのだろうか。
 ゼノビアの皇子でありながら、その半生を己の素性を知らないままに過ごしてきたトリスタンにとって、マラノの都の混沌は彼がこの先、王となった時に抑えつけなければならない民衆の力のようにも思われるのだ。ゼノビア王家のことも知らなかった自分が支配する側に廻る時、大勢の人びとの受け入れと反発とを彼はその身に受けることになるのだろう。
 「こっちだ」
 彼は自分より少し小柄で年下の解放軍のリーダーの背を見ながら、漠然とした不安を感じつつもあった。
 グランディーナの素性を少しと考え方を聞いても互いの溝は埋まらない。彼女と自分とは立つところが違う。ゼノビア王国という基準を持たねばならない自分とそうした拠所を持たない彼女とでは、考え方が違うのは当然だ。
 けれど、現在の解放軍にトリスタンと同様の考えを抱いている者もいないようだ。戦時のうちはそれでもいいだろう。彼女を中心に打倒ゼテギネア帝国という華やかな目標に皆が突き進んでいけばいい。よそ見をするには帝国は大きすぎる相手だ。
 だが彼の出番は帝国が倒されてからだ。そのことも考慮の上で解放軍のリーダーを彼にさせないと言ったのであれば、彼女はおよそ慧眼と言わねばなるまい。
 目指すロシュフォル教会は小さな建物だった。商業都市らしく宗教は人気がないのかもしれない、などとトリスタンが考えていると、グランディーナの足取りはそのまま入り口には向かわず、脇にそれた。
 なぜと訊くまでもない。ロシュフォル教会が帝国軍に取り囲まれていることは彼にもすぐわかったからだ。
 少し離れたところに見たことのある馬車が止まっていて、彼女はそれに乗り込み、トリスタンも続いた。2人が腰を下ろすより早く馬車は走り出したが、乗っていたのは〈何でも屋〉のジャックであった。
 「あなたがいてくれるだろうと思った」
 「ご期待に添えて何よりです。
 トリスタン皇子、お久しぶりです」
 「君たちは知り合いだったのか?」
 「はい」
 「あの時は世話になった。君のおかげでゼノビア王国の者たちと会えたこと、改めて礼を言う」
 ジャックは満足そうに頷いた。
 「それにしてもあの程度の罠ではやはり簡単に見破られましたね」
 「密告者は誰かわかったのか?」
 「いいえ」
 「では十三人会はどこにいる?」
 「アグラヴェイン=リニュ殿のお屋敷にいらっしゃいますよ」
 「彼がアプローズとつるんでいれば、十三人会もあなたも我々も一網打尽というわけだ」
 「そうですね。そうなれば、今後、マラノでは十三人会は存続できず、アプローズ男爵はその功績によりますます地位を上げられるというわけです」
 「君たちはそうなってもかまわないとでも思っているのか? アプローズを生かしたままにしておくということはポグロムの森での避難民虐殺を認め、悪しきゼテギネア帝国をも放っておくということだぞ?」
 「ですから、アグラヴェイン殿にはそのような疑いはないと申し上げようとしたところだったんです」
 「それならばいい」
 しかしトリスタンはそのポグロムの森がどのような姿になったかを知らない。祖国ゼノビアへの裏切りというだけでアプローズへの憎しみを募らせることはできても、ずっとゼノビアの現状を知らなかった自分がそのようなことを言う権利があるのか、彼は時々迷う。
 「ゼノビアに華々しく凱旋するのはせめてアラムートの城塞を落としてからにした方がいい」
 「藪から棒に何を言い出すんだ?」
 「帝国の標的が解放軍だけでなく復興途中のゼノビアにまで向けられるかもしれない。いままで復興に費やされた労力が無駄になるし、いまの解放軍の戦力ではゼノビア領を守ることはできない。あなたがゼノビアに戻ればそうなるが、アラムートを落とせれば東大陸の心配はしないで済むだろう」
 「君はバーニャたちのことを言っているんだな? 君に言われるまでもない。わたしも単なる郷愁に駆られてゼノビアに帰るつもりはない。そんな単純な感情で動くほどわたしもゼノビアのことが懐かしいわけではないよ。アッシュたちには悪いと思っているがね。ただ、わたしがアプローズを倒したいと思い、その理由の1つにポグロムの森を挙げるには何も知らないというだけだ」
 「魔法使いのカシム=ガデム、女戦士のマンジェラ=エンツォとシルキィ=ギュンター、この3人はポグロムの森で両親を殺された。ほかにいるかもしれないが私が知っているのは3人だけだ。気になるのならウォーレンやランスロットにも訊いてみればいい」
 「そうしよう」
 「そろそろ着きますよ」
 「十三人会との約束の時間はどうなったんだ?」
 「ロシュフォル教会で待ち伏せされてしまいましたので、遅れなどは気にしなくてもいいでしょう。十三人会の方々は待ち伏せまではご存じありませんが、会合の場所をリニュ家に移すことはご承知いただいた上でのことですので」
 「なるほど。後はつけられていないのか?」
 そう言ってからトリスタンは最後に馬車に乗った自分が気を遣うべきだったことに気づいたが、グランディーナは黙って首を振った。まったく憎らしいぐらいの気のつきようだ。傭兵という経歴が彼女に用心深くさせるのだろうが彼ではこうはいかないだろう。
 「彼らが改めてアグラヴェイン殿のお屋敷に踏み込むまでにあなたたちを逃がす時間ぐらいあるでしょう。この馬車に乗り込んだところを見られなければ、帝国も十三人会に言いがかりはつけますまい。フェルラーラの守備隊長ごときでは相手にもされませんよ」
 やがて馬車が止まり、ジャックが真っ先に降りた。
 リニュ家はシュワルツェンベルク家より一回り大きな屋敷である。3人を出迎えたのも当主のアグラヴェインではなく執事で、そのまま彼女らは大きな食堂に通された。長い食卓には13人の男性がすでについており、上座が3つ空いている。
 そして3人の姿を見て、ベディヴィアのように好意的に会釈する者もいれば、特に気にかけないふりをする者、慌てて目をそらす者もいた。
 グランディーナはいちばんの上座をトリスタンに譲り、自分はその右手に、ジャックが左手についた。彼女らが席につくのに併せて13人も揃って立ち上がる。
 「このような場を設けていただいたことを感謝する。私が解放軍のリーダー、彼が旧ゼノビア王国のフィクス=トリシュトラム=ゼノビア皇子だ」
 「わたしはグリフレット=マッセナだ」
 13人の中でいちばん上手にいた初老の人物が自己紹介したのを皮切りに残る12人も順に名乗る。
 もっともトリスタンにしてみれば、全員に名札を下げてもらいたいところだ。彼らは2人覚えればいいが、こちらは12人も覚えなければならない。なんて不届きなことを考えていたら、ジャックが心得顔に席順を書いた紙片を差し出した。しかしグランディーナには不要のようだ。解放軍101人の名前と職業、23頭の魔獣も覚えているという彼女のことだ。人の顔や名前を覚えるのはさほど苦にしないのかもしれない。
 下座から二番目の席に座っていたベディヴィアだけは「改めて名乗るまでもないでしょうが」と断った。彼と、真正面に座ったバリン=ダヴーは自分と歳が近そうなせいもあってすぐに覚えられそうだが、ほかの者を覚えるのは一苦労しそうだ。
 全員が席に着くと、グランディーナが立ち上がった。
 「早速だが、アプローズを倒し、マラノを解放するのにあなた方の力を借りたい」
 「我々はアプローズ男爵とは理想的とは言えないまでもおおむね良好な関係にあると考える。男爵は確かにゼノビア時代に捕虜虐殺を行ったなど良い領主とは言い難いところもあるが、マラノを戦場にしてまで我々が解放軍に協力する利点はどこにある?」
 そう言ったのは最年長のブラモア・ド・ガニス=スールだ。彼が昨日の時点でグランディーナの提案に反対していることはトリスタンもすでに聞かされている。
 亡くなったグラントと似た印象を受けるのはその薄くなった白髪のためだけではあるまい。一見温厚そうだが、かなり頑固な老人に違いない。
 グランディーナに促されたのでトリスタンが答えた。
 「解放軍に協力していただければ、ゼノビアの王位継承者としてマラノの自治を取り戻すことをあなた方にお約束しよう。今後、ゼノビア王家の名において、マラノの自治が何人にも破られぬことを保証する。それと1つ訂正させてもらいたいが、アプローズがポグロムの森で殺したのはゼノビア王国の捕虜ではない、ゼノビア城からの避難民だ」
 トリスタンはせいぜい熱弁を振るったつもりだったが、冷たい眼差しは変わらぬようだ。しかし、彼が話したポグロムの森の真相の方は十三人会にはかなりの驚きだったらしい。トリスタンにすればこれだけ嘘が広がっていることは驚きを通り越して呆れるしかない。
 ブラモア・ド・ガニスの席はグランディーナと対角線上に位置する。向かいがベディヴィアで、右隣に座ったカドール=ヴィトゲンシュタインが何か囁くのが見えた。カドールも反対者の1人だ。くすんだ金髪を肩まで伸ばした40代半ばくらいの人物だが、青白い顔と細身から神経質そうな印象を受ける。背の高さはブラモア・ド・ガニスと同じくらいだった。
 カドールの内緒話にブラモア・ド・ガニスは頷き、また話し始める。最年長の彼には十三人会内の序列を越えた力があるらしい。
 「戦後の保証も良いだろう。だがジャック殿からおかしな話も聞いた。アプローズ男爵がこのマラノに解放軍を迎え撃つための罠を仕掛けており、罠が発動すればマラノはポグロムの森のような惨劇に見舞われるとか。確かに男爵には残酷なところもある。避難民の虐殺などゼノビアの皇子殿としては許し難い所業もあろう。だがそれはマラノには関係のないことではないか。しかも解放軍の存在が罠を仕掛けた理由だとしたら解放軍に協力するどころか解放軍の存在そのものがマラノには迷惑ということになるがいかがか?」
 トリスタンは思わず絶句したが、その利己主義と思われる言い分を非難するのは避けて沈黙を守り、グランディーナが応答するのに任せた。
 「我々は次の4点においてアプローズとマラノを放置して先に進むつもりはない。1つめにポグロムの森の虐殺の首謀者として人道的にアプローズを許し難いと考える。殺されたのが何人であろうと関係はない」
 彼女の話し方はいつもよりゆっくりで言葉を句切るようだが、グリフレットが強引に割り込んだ。彼は賛成も反対も表明していないマラノ一の大商人である。つまり、十三人会のなかでも中心人物というわけだ。
 「つかぬことをお伺いするが、ポグロムの森でアプローズ男爵が行ったのはどのようなことか教えてはもらえないか。ゼノビア城からの避難民虐殺とはたったいま聞いたのだが、詳しいことは知らないものでな」
 これに答えたのはグランディーナだ。
 「ポグロムの森の虐殺はアプローズの手の者が森全体を一晩で焼き尽くしたことに端を発するものだ。ゼノビア城から逃げ込んだ避難民が殺されたことは言うまでもないが、特筆すべきは彼らが降伏の意志を示したにも拘わらず、アプローズがそれを許さなかったということだ。私はこの点においてアプローズを許し難いと考える。さらに森に接したセルジッペ、ミナスシェライスという町もこの炎に捲かれて消滅し、町の住人が殺されている。森の面積はマラノの約20倍、それで炎の規模がわかろうし、同じ炎にマラノが巻き込まれればどうなるかは言うまでもないだろう。グリフレット殿、よろしいか?」
 彼は頷いたが、誰かが息を呑む音が響き渡る。
 トリスタンさえ、ポグロムの森がそれほどの大きさだとは知らなかった。一晩で森を焼き尽くした炎の規模も、それがここ数年で復帰したという事実の異常さも容易に察せられようというものだ。
 しかし彼女は淡々と続きを話す。
 「2つめにマラノがアプローズを領主としていただく限り、ここに落ちる富はゼテギネア帝国を潤すことになる。現在、定期的な財源を持たぬ我々には見逃すことのできない金額だ。マラノが帝国に対して中立を約してくれればそれだけの財源を削ることができるが、アプローズがマラノの領主でいる限りそれはできまい。3つめにマラノは東大陸に残された、おそらく最後の重要な拠点だ。戦略的にもここを落とさないわけにはいかない」
 彼女が3つめまで話して黙ったので隣に座っていたブラスティアス=サンシールが続きを話すよう促した。彼も昨日の時点では解放軍の策には反対していたが、リーダーが若い女性と知って興味津々のようだ。顔つきは地味だがいちばん恰幅が良く、赤ら顔である。
 「4つめにアプローズの仕掛けた罠が解放軍だけを対象にしたものではないからだ。あなた方の知らないうちに彼はマラノ市を質にしている。我々がアプローズをそのままにしてマラノを離れることは逆にマラノのためになるまい」
 「なぜそう言い切れるのだ? マラノ全市に仕掛けた罠ならば発動すれば解放軍以外も巻き込まれようというだけのことではないか」
 「アプローズが罠を仕掛けたのが解放軍の現れるのより前と考えられるからだ。2年ほど前にマラノ市内で大規模な道の舗装工事があったそうだな? それ以外にもマラノでは終始どこかで下水道の工事が行われているはずだ。それならば大して目立たずに罠を仕掛けることも可能だろう」
 「確かに2年前にマラノ全市でそのような工事があったが、あれはアプローズ男爵の命で行ったものではない。ラモラック殿、あの工事の手配から作業一切は職人組合で請け負ったはず、アプローズ男爵の介入があったか貴殿ならばご存じではないか?」
 ラモラック=ノルレンドルフはグランディーナの右に3人あいだにおいたところの席だ。積極的な賛成者の1人だが、彼女らの姿を見た時に目をそらしたのがトリスタンには引っかかる。50歳を越えているだろうが坊主頭なので意外と若いのかもしれない。
 「いや、そのような話は聞いていない。あれは石畳の摩耗がひどかったので交換した工事だ」
 「全市で一斉に工事を行った理由は何だ?」
 「材料の石が一度に大量に手に入ったのと臨時に石工職人が大勢雇えた。全市で集中的に行った方が効率が良かったからだ」
 「臨時の職人を大勢雇ったとは初耳だ。そのなかにアプローズ男爵の息がかかった者はいなかったのか? 石を置く場所の確保という問題はあろうが素性の確かな者だけで工事をやらせるべきではなかったのか? それに解放軍を対象にした罠であろうとなかろうと罠を仕掛けるという行為そのものが我々への裏切りではないか。アプローズ男爵がはっきり介入したとわかるようなことをするだろうか? わたしならば目立たぬようにするだろう。あいだに二重三重に人を挟めば、大元が誰か偽ることも容易にできるのではないか?」
 この館の当主アグラヴェインは、グランディーナとラモラックのちょうど中間に座していた。ジャックの話では婉曲的な味方のようだが、昨日の時点ではグリフレット同様、賛成も反対もしていない。しかしラモラックの言い分が気に入らなかったのかあれこれ問いただす。意外と熱血漢なのかもしれない。
 「それは、職人の身元については石工職人長に確認させたので間違いないとしか言いようがない。職人には腕前が何より大事だ。いくら領主の息がかかっていても腕前もわからぬ者を雇い入れることなどあり得ない。だがあの時は腕のいい石工職人が大勢雇えたのだ。あの工事の後に問題は起きていないだろう? それに2年も前のことをいまさら責め立てられても困る」
 ラモラックの言い訳めいた口調にアグラヴェインも苦々しそうな顔をしたが、グランディーナが再度突っ込んだ。
 「それでは下水道についてはどうだ?」
 「解放軍のリーダー殿はずいぶんとマラノの内情に詳しいようだな。情報源はジャック殿か、それとも我々のなかに解放軍への内通者がいるのか?」
 「マラノで行った工事など秘密にするようなことではあるまい。内通者というのはマラノを裏切り、アプローズに味方する者のことを言うのだろう」
 重苦しい沈黙が食堂に満たされる。隣同士で話し合う者、1人で考え込む者と13人の反応は様々だったが部外者に裏切り者がいると示唆されたことには全員が一様に不快感を示した。けれどもグランディーナの口調は変わらない。
 「今日の会合のことは私は部外者ではジャックにしか話していないし、解放軍内でも知っている者はトリスタン皇子のほかには限られた者だけだ。つまり、私たちが今日の日没後、フェルラーラのロシュフォル教会にいることはあなた方からしか漏れる可能性はない。だがベディヴィア殿には昨日、トリスタン皇子と会う場を提供などしてもらったから除外している。同様にアグラヴェイン殿も、今日の件では会合の場を設けてもらったから除外して考えてもいいだろう。情報は残る11人の方から漏れたと思われる。そうでなければああも都合良く、帝国軍がロシュフォル教会を包囲していた理由が説明できない」
 「ジャック殿、それは本当ですか?!」
 「あなたが場所を変えたいと仰った時にはそのような理由とはお伺いしなかったはずですが?」
 ロシュフォル教会からリニュ家に会合の場所が変更になったのだから、アグラヴェインが発言する理由はわからなくもないのだがラモラックの反応がトリスタンには不可解だ。
 「申し訳ありません、皆さん。彼女に忠告されてはいたのですが、あの時点ではわたしもまだ確証が得られていなかったのでお話しできなかったのです」
 13人の視線がジャックからグランディーナに移される。ゼテギネア帝国相手に連勝を重ね、トリスタン皇子以上の賞金首とはいえ、たかが20歳の小娘のはずが、その時の彼らの目にはずいぶん得体の知れない存在に写っているに違いない。
 しかしトリスタンだって同じ思いなのだ。いくら話しても掴みきれない得体の知れなさが彼女にはいつまでもつきまとう。まるで本人もそう思われることを望んでいるかのようだ。
 気まずい沈黙を破ったのは明るい、脳天気と言ってもいいジャックの声だった。
 「だから皆さんには最初にこう申し上げたはずですよ? くれぐれも年齢や実績だけで彼女を判断しないように、とね。お忘れですか?」
 「いいや、ジャック殿、忘れたわけではないのだが、わたしの予想など簡単に上回ってくれたのだ。あなたの話を聞かされた時からどのような方か興味はあったが、まさかこれほどとは思ってもいなかった。
 グランディーナ殿、あなたという方を見くびっていたことをどうかお許し願いたい。そしてあなたとは是非一度、私的にお会いしたいものですな」
 彼女の右隣に座っていたせいかかなり好色なのか、たぶんその両方なのだろうが、ブラスティアスは素早くグランディーナの手を取り、音が出るほど熱く口づけをした。
 「ブラスティアス殿、ご厚意だけありがたくいただいておく。申し訳ないがゼテギネア帝国を倒すまで身体が空かない」
 「わたしも無理にとは言いませんよ」
 そう言いながらブラスティアスは彼女のことはちっとも諦めていないようだ。
 「私個人のことは差し置いて、話を進めさせてもらってもかまわないだろうか?」
 さすがに反対者はいなかった。
 「あなた方には嫌な話を蒸し返すようだが私がこうして内通者に言及しているのはそれが誰かを突き止めたいからじゃない。事情はそれぞれだろうが、アプローズに協力するのを止めてほしい、それだけだ」
 彼女の言い分はトリスタンにさえ意外であった。彼はこのまま話し合いが好転することを望んだ。
 「我々のなかで誰がアプローズ男爵に内通していようとそれは我々自身の問題であってそちらにあれこれ言われる筋合いの話ではあるまい。いかに言を尽くされようともマラノを戦場にするような策にわしは賛成することはできん」
 だがブラモア・ド・ガニスが頑固に同じことを繰り返したので反射的に立ち上がりかけたトリスタンは、グランディーナに思い切り足を踏んづけられた。
 「何を−−−?!」
 「罠を発動されて困るのは我々も同じだ。だが先ほど申し上げた4つの理由によりあなた方の協力が得られても得られなくても我々はマラノを攻める。解放軍に協力してもらえればマラノを戦場にするのは必要最小限で済むだろう。あるいはアプローズの仕掛けた罠を回避することもできるかもしれない。あなた方とて帝国が倒された後までアプローズに従う道理はあるまいし、そうなればいくらマラノが巨額の富を生み出すとはいえ、判断の遅れたあなた方の立場も微妙なものになると思うがいかがか?」
 この言葉にブラモア・ド・ガニスは不機嫌そうに押し黙った。
 彼女の視線がカドールに向けられ、気弱そうな商人は慌てて手を振る。その向かいのウリエン=ランヌもグランディーナが見ると視線をそらした。彼も解放軍の策に反対していたがその理由は不明だ。
 「わたしは解放軍の策に乗ってここはアプローズ男爵をマラノから追い払うが得策と思う」
 ルーカン=ベルナドットが初めて発言した。賛成者のなかではいちばんの大物で、ベルナドット家はマッセナ家、サンシール家に次ぐ大商人であるという。頭を頭巾で包み、濃い顎鬚が印象的だ。
 「解放軍と帝国軍の戦いがこれほど広がっている以上、マラノ市としても静観ばかりはしていられまい。伝統的なマラノの自治を取り返すためにもここは積極的に解放軍に協力しておくべきではないか?」
 彼の意見は十三人会全員というより、いまだに立場をはっきりさせないグリフレットに向けられたものだ。
 「まだ解放軍がゼテギネア帝国を倒したと決まったわけではあるまい。だがここで我々が解放軍に協力すればマラノは今後、ゼテギネア帝国に敵対するものと見なされよう。その判断を下すにはいまは時期尚早とわたしは考える。グランディーナ殿、解放軍に勝算はあるのか?」
 「それでは我々が勝算もなしにこの戦いを始めたとでもお思いか? 我々が帝国を相手に勝てるはずもない戦を始めたとでも?」
 「そうは言わないが、マラノ市は解放軍と共倒れになるわけにはいかないということだ」
 「では指をくわえてこの戦の成り行きを見守るか? あなたが去就をはっきりするころにはマラノ市はなくなっているかもしれないが」
 突然グリフレットが顔を真っ赤にして立ち上がった。重厚な椅子が後ろに倒れたのでよほど勢いをつけたようだ。
 「たかが戦争屋の分際でこのグリフレット=マッセナを脅迫するつもりか?!」
 「私は事実を言っているだけだ。何度も言っているようにあなた方の返答がどうであれ、私はマラノを攻める。それは動かない事実だ。仕掛けた罠が発動すれば我々にとっても致命的なことになるだろうし、マラノ市も無事では済むまいがアプローズを倒すために多少の犠牲には目をつぶるしかあるまい」
 「そんな勝手な話があるか! アプローズ男爵1人を倒すためにマラノに犠牲になれと言うのか?!」
 グランディーナは落ち着いていたが、トリスタンは息を呑むような思いでこのやりとりを見守っていた。それはほかの十三人会の面々も同じ思いだろう。しかしどうやらジャックは1人だけ楽しんでいるようだ。
 「私を戦争屋と言っておきながら戦争屋として話すと否定するのだな。だがあいにくとマラノを守ることになど私は興味がない。それは商人であるあなた方の仕事だと思うが?」
 「解放軍に協力しろということか?」
 「その方が話が速いということだ。我々は人数も少ない。防御はあまり得意ではないが攻撃には長けている。あなた方には地の利があろう。それにアプローズを倒してしまえば誰があなた方の我々への協力を知ることができよう?」
 グリフレットが腰を下ろす。倒した椅子は室内に影のように控えている召使いが直したらしい。
 「なるほど、ジャック殿の言われるとおり一筋縄ではいかぬ御仁だ。それに帝国への矢面に立つのはあくまでも解放軍とは度胸も並大抵ではないようだ。だがあなたは先ほどから肝心な点は誤魔化しているな。いつ、どのようにマラノを攻め、我々にどう協力しろというのか、その点を伺っていないように思うが?」
 「私も話した覚えはない。こちらの計画がアプローズに漏れることはできるだけ避けたい」
 「だがそれでは堂々巡りだな。我々としても信用のない相手と取引するわけにはいかない」
 一同はしばし黙り込んだ。その沈黙を破ったのはまたしてもジャックだ。
 「ふわあぁぁ。皆さん、夜もだいぶ更けたでしょう。ここらで休憩して続きはまた明日、話すことにしませんか?」
 「賛成だ。何だったら場所と日を改めても良い」
 ブラモア・ド・ガニスが同意したのを皮切りに何人かが賛成する。トリスタンも喜んで休みたいところだが、グランディーナ1人がまだまだ元気そうだ。
 「このままリニュ家を貸してもらえるのか?」
 「かまいません」
 「あなた方が話し合いが終わるまでリニュ家から出ないと約束してもらえるのなら同意してもいい」
 話しながら彼女は立ち上がっている。その言葉に頷いたのはグリフレットだ。
 「あなたの言う疑惑も晴れていない。しばしリニュ家に逗留させてもらうのも悪くあるまい」
 「わたしも賛成だ」
 ブラスティアスとルーカンが同意したので、それ以上意見は出されなかった。
 「君はどこかへ行くのか?」
 「いったん野営地に戻る。皆に聞きたいこともある。あなたはここで待っていろ」
 「わたしも戻った方がいいんじゃないのか?」
 「あなたに着いてこられると私が動きにくい。アグラヴェイン殿からあなたがここにいると情報が漏れることはないし、万が一の時にはジャックがいる」
 「わかった。気をつけて行ってくれ」
 彼女が出ていくと急に室内の緊張感が消えたようだ。皆が一斉に目の前の飲み物に手を出し、アグラヴェインは召使いに指示を出すべく立ち上がった。
 少しくつろぐと、席を離れていくつかのまとまりができた。若いベディヴィアとバリンの組み合わせはトリスタンにも容易に予想はついたが、カドールとブラモア・ド・ガニス以外の反対者であるウリエン=ランヌは、その2人とではなく最初は反対者だったが好意的な意見に変わったブラスティアスと話し込んでいる。
 一度も発言のなかったエクトル=ウルムゼル、ボールス=ド・トリー、アグロヴァル=クライストはそれぞれ自分の考えにふけっているようだ。
 「トリスタン皇子、お疲れになったでしょう。部屋を用意しましたので休まれてはいかがですか?」
 「ありがとう、アグラヴェイン殿。わたしがいない方があなた方も話がしやすかろうから退室させてもらうとしよう」
 「おやすみなさい、トリスタン皇子」
 挨拶したのはジャックだけだった。残る13人はああは言ったもののまだ話し合うことがあるようだ。
 トリスタンは召使いの案内で客室に向かった。何にしても彼は疲れている。
 だが王となれば、ああいう会合は必然と増えるのだろう。その時に疲れたなどと言って逃げ出すわけにはいかないし、その内容もマラノのように協力するのしないのと単純なものではないだろう。
 自分の素性など何も知らず、エストラーダに従って剣を振るっていた少年時代を彼は懐かしむ。あの時は戦いと言っても無邪気なものだったと思う。初めて人を殺したことを独りで震え恐れたことはあっても、いまとはまったく事情が異なっている。
 「わたしは臆病者ではないはずだ。だが恐ろしいのだ、自分がゼノビアだの国だのと口にするたび、王という肩書きがわたしには限りなく重く感じる」
 けれどその思いを打ち明け、共有できる者はいない。無理に打ち明けることはできても誰にも彼の気持ちはわかるまい。王となるのは彼1人なのだから。
 フィクス=トリシュトラム=ゼノビアは孤独だった。
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