Stage Nine「いつか海に還る日まで」

 ランスロットとカノープスがそれぞれ見張りに起こされたのは、合わせても夜明け前の数時間足らずのことだった。サラディンはウォーレンと同年代とは思えないほど精力的に動き、寝る間も惜しんで働いているが、無理しているようにも見えないのである。
 「俺はウォーレンを怠け者だと思ったこともねぇが、サラディンを見ているとそう見えちまいそうだな」
 「ウォーレンは内省的な人だからな。だが、ああしたサラディン殿だからこそ、ゼテギネア帝国に14年間も抵抗することができたのだろう」
 「そいつは一理ある」
 ウォーレンはともかく、いまは自分たちが怠け者に見えるだろうと思いながら、ランスロットはそのことを口にしないでいた。
 けれど、マーケサズまでの行程では2人ともすることがないのも事実だ。〈何でも屋〉のジャックが貸してくれた帆船は、船長以下船員たちだけで動くので、門外漢の2人が頼まれるような用事もない。カノープスよりも船に慣れているとはいえ、ランスロットのそれはせいぜい手漕ぎの舟だ。
 しかし、タシャウズの港を発って以来、順調な旅を続けてきた〈漆黒の涙〉号が何かにぶつかったような衝撃で大きく傾いだのは昼も廻ったころのことだった。
 カノープスは滑って帆柱にぶつかったが、ランスロットは船縁に手をかけて難を逃れた。
 「いってぇー!」
 「大丈夫か、カノープス?!」
 返事をするより早く、船の前方が騒がしくなり、2人は顔を見合わせる。
 「ちくしょう、どこのどいつだ?」
 さらに船に体当たりする振動が伝わってきた。
 〈漆黒の涙〉号は完全に停船している。
 カノープスが飛び上がるとグリフォンたちも続いた。ランスロットもスムマーヌスを抜いて船首に走った。
 雷が落ちたのはその時だ。
 ランスロットにはスムマーヌスの雷もひときわうるさくなったような気がした。
 船首に立っているのはサラディン一人きりだった。カノープスと2頭のグリフォンは上空で戦局を見下ろしている。
 「まだわからぬか。我らはカストラート海の人間ではない。そなたたちが退かぬと言うのならわたしも容赦はしないぞ」
 「くっ! 仲間の仇はきっと取る、覚えていろ!」
 「待て!」
 カノープスが逃げ出した人魚とオクトパスを追おうとしたが、彼の視力を持ってしても海中に深く深く沈んでしまった者を追うことはできず、甲板に降りたと思うとすぐに飛び立った。
 「どうしたんだ、カノープス?」
 「こいつ、まだ生きてるぞ!」
 「船に上げてくれ。気絶しているだけだと思うが、具合を診ておこう」
 カノープスが人魚を抱きかかえて甲板に上がってくる。濡れているせいもあるのだろうが、赤紫色の尾と同じ色の長い髪が宝石のように陽の光に輝いていた。
 膝をついたサラディンが人魚の腕を取った。彼女は傍目には怪我はしていないようだ。
 「どういうことなんだい、こいつは?」
 「人魚たちに襲われたから撃退したのだ。手加減はしたつもりだったが、あの人魚は仲間が殺されたと思ったのだろう」
 「船が引っ繰り返ったかもしれねぇっていうのにずいぶん余裕だな」
 「そのようなことにはならなかったろう。〈何でも屋〉のジャックの船はオクトパスの体当たりで横転するようなひ弱な物ではあるまい」
 「人魚たちは何で襲ってきたんだ? あんた、さっき、勘違いのような言い方をしていなかったか?」
 サラディンは頷き、アレイス船長に船をマーケサズに向けるよう指示をした。
 「そなたの言うとおりだ。彼女らは我々をカストラート海の者だと思ったらしい」
 「迷惑な話だな。だいいち、カストラート海の連中がこんなに贅沢な船なんか持ってるかよ」
 「人魚たちにはその判断はできなかったのだろう」
 「だけど、こんな状況でマーケサズに行ったらもっと危ないんじゃないのか? 人魚ぐらいなら、あんた1人でも撃退できるかもしれねぇが、帝国の連中だっているんだろう?」
 しかしその時、人魚がうめき声を上げて目を開けたかと思うと次の瞬間には金切り声で悲鳴を発した。
 「きゃーっ!! お姉様、助けて! 殺される、あたし、殺されちゃう!」
 「いい加減にしろ! いてっ!」
 自分の耳を塞ぐより人魚の口を塞ぐ方が早いと思ったのだが、カノープスは手を思い切り噛まれて慌てて引っ込めた。
 「助けて助けて! あたし、水がなくちゃ駄目なの、ひからびて死んじゃう!」
 「そう騒ぐな。水がないと生きられないとは言ってもそなたを水から上げて、そう経っているわけではないのだ」
 「なによ、なによぉ。あたしたちを殺そうとしたくせに、なんだっていうのよぉ!」
 人魚の金切り声はかなり耳にいたい。解放軍のかしまし娘たちもさすがにこれほどの高音では騒がない。何より彼女には遠慮というものがないのだから、自分の置かれた立場も顧みずに騒げるのだろう。
 「仲間は無事だが彼女はそなたが殺されたものと思って逃げてしまった。そなたも逃がしてやろう。だがその前に、わたしの問いに答えてくれ」
 人魚はその大きな澄んだ碧い目をさらに大きく見開いて、サラディンをしばし凝視した。
 まるで異な者でも見るような目つきだ。そう思ったランスロットは、カノープスも同じことを考えているらしいのを悟った。
 「あたしを逃がしてくれるの?」
 「そなたがわたしの訊くことに答えてくれればな」
 人魚は起き上がると両腕だけで後ずさった。だがあいにくと、彼女の後ろは壁だった。
 「あなたたちはカストラート海の人間ではないと言ったわ。それならばどこから来たと言うの?」
 「無論、ゼテギネアから。我々は帝国と戦う解放軍の者だ」
 「まぁ! それならば、やっぱりあなたたちも悪い人間なんだわ。だって帝国はあたしたちのためにカストラート海に来たのだもの、人間たちを追い出して、人魚だけの王国を作ってくれるのだもの」
 カノープスは思わず馬鹿な、と言いかけたが、サラディンに目で制された。だいたい質問しようとしたのは彼の方のはずだったのに、いつの間にか人魚のおしゃべりに応答している有様だ。
 「そのようなことはそなた1人の考えではあるまいな。誰に言われたのだ?」
 しかし彼女は唇を固く結んで頭を素早く振った。
 「それにカストラート海の人間もただでは追い出されまいし、そなたの言う人魚だけの王国ができるまでに何年もかかるだろう」
 「あたしたちはあなたたちよりずっと長生きだわ」
 「だが人間は、そなたたちより数も多いし、増えるのも早い。人間も大勢殺されようが、そなたたちも仲間を失うことになろう。人間は黙って追い出されはすまいし、万が一、人魚だけの王国が作られても、人間が戻ってこないという保証は誰にもできまいよ」
 人魚は答えずにサラディンを睨みつけた。大きな碧い目は心なしか潤んでいるようにも見える。
 「あなた、すごく意地悪だわ。なぜ、そんなことばかり言うの? お姉様の言ってたとおりだわ。人間は意地悪ばかり言うわ」
 「わたしもそなたたちが信頼している帝国の者も同じ人間だ。人間のことは、そなたたちよりもよく理解しているつもりだ」
 「嘘よ! ポルキュスさまは言ったわ、ゼテギネア帝国の女帝エンドラの使いが約束したって。人魚を助けて、カストラート海の人間を追い出して、あたしたちだけの王国を作るって約束したのよ!」
 「ポルキュス、それが、そなたたちの長の名前か?」
 その問いに、人魚ばかりかランスロットもカノープスも驚いてサラディンを見た。けれど、彼女はたちまち震え出し、とうとう堰が切れたように激しく泣き出してしまったのである。
 「なるほど。それが、あんたの聞きたかった情報というわけだ。それにしちゃあ、ずいぶんと回りくどいやり方をするじゃねぇか」
 「ふつうに訊ねても答えてもらえぬと思ったのでな。だが、エンドラの使いについては彼女は知らなかろう。先ほどのニクシーならば聞いていたかもしれないが、ポルキュスが二人きりで会った可能性も否定するわけにはいかないからな」
 「嫌いよ! 人間なんて大嫌い! あなたたち、ずるいわ、最低だわ!」
 人魚の金切り声はかん高くて耳に痛い。彼女に近い方の耳に栓をしながら、カノープスは話を続ける。
 「それなら、彼女は逃がしてやってもいいんじゃねぇのか?」
 人魚のわめく声が一瞬止んだが、彼女はすぐに「信じないわ」と叫び始めた。
 「このまま連れていこうっていったって、水が要る。樽でもあればいいだろうが、海じゃ淡水は貴重だろう? どうせ、あんたの聞きたいことは聞いたんだ。これ以上、引き止めて心証を悪くするよりもましだと思うんだがな」
 「そなたの言うとおりだな。手間をかけてすまぬが、海に降ろしてやってはくれまいか。あるいはまだ、先ほどの仲間がいるかもしれない。アレイスに船を止めるよう頼んでこよう」
 「わたしが行ってきます」
 「了解っと」
 ランスロットは素早く立ち去り、カノープスが差し出した手を大きくはたかれる音を耳にして振り返った。
 「やめて! あたしに触らないでよ!」
 「こっちはあんたを逃がしてやろうとしてるんだ。少しはおとなしくしててくれねぇか?」
 「どうして?」
 ランスロットがサラディンの言を伝えると、船長はすぐに了承した。〈漆黒の涙〉号は大海原に停船する。
 「そなたから聞きたいことは聞いた。ならば、わたしは約束を守るべきだろう」
 彼女はそんなことは考えてもいなかったようだ。
 その隙をついてカノープスは人魚を抱き上げ、海面に降ろした。甲板にいたあいだに彼女の尾は乾いてしまっており、赤紫色の輝きは褪せていた。
 しかし、尾の先から海に滑り落ちた人魚は、一回海に潜り込むと、すぐに海面に顔を出し、カノープスを手招いた。
 「何の用だ?」
 先ほどはさんざんに泣きわめいていたのが嘘のようにすっきりした顔をしている。
 「あなたたちの名前をまだ聞いていなかったわ」
 「そういう時は、まず自分から名乗るものじゃねぇのか?」
 「あら、あたしたちのあいだでは質問者が後から答えるのが礼儀にかなっているのよ」
 「なるほど。どういう風の吹き回しか知らねぇが、覚えておくよ。俺はカノープスだ。あんたと主に話していたのがサラディン、もう1人がランスロットっていうのさ」
 「あたしの名前はリエッシーよ。あなたたちのこと、覚えておくわ。約束を守った人間は初めて見たのだもの、みんなに話したら、きっとびっくりするわ。それじゃあね、カノープス!」
 「待てよ、リエッシー!」
 しかし、彼女は即座に潜ってしまい、すぐに彼の視界からも失せた。さすが、「グルーザの愛娘」と言われるだけのことはある。海において人魚たちにかなう者などありはしないのだ。
 「せっかちな奴だぜ。俺はバルタンだって言おうと思ったのに聞こうともしねぇんだから」
 「カノープス、船を出すぞ」
 「いま、行くよ!」
 彼が船に戻るや否や、船は再び動き出した。カノープスの視力は、行く先に近づいている島を捉える。
 「彼女と何を話していたのだ?」
 「名前を聞かれたんだ。彼女の名前はリエッシーっていうんだと」
 「それは大した前進だな。彼女を逃がしてやった甲斐があるというものだ」
 「カストラート海にはろくな人間がいないらしいぜ。約束を守った人間は初めてなんて言われたら、こっちの方が驚かされる」
 ランスロットは眉をひそめたが、サラディンは苦笑いを浮かべた。
 「カストラート海の人間、というよりも人魚たちを狩る者や商人たちにそういう者がいなかったということだろう。その判断は短絡的に過ぎよう」
 「なるほど」
 「それよりも、そなたたちはカストラート海に来るのは初めてであろう?」
 「仰るとおりです」
 「有翼人は海に用はねぇからな。潮風で羽根は傷むし、泳げるわけでもなし。砂漠ほどじゃないが、海は俺たちの天敵みたいなものだ」
 「なぜ海よりも砂漠の方が具合が悪いんだ?」
 話を切るのはサラディンに悪いと思ったが、つい好奇心に負けてランスロットは訊く。
 「砂の小さい粒が羽根に混じり込むんだ。俺たちの羽根からは水を弾くように油分が分泌されるんだが、砂はそいつを台無しにしちまうのさ」
 「だが、アラムートの城塞の西側は、旧オファイス王国の砂漠地帯だ。そこを越えなければゼテギネアにはたどり着けないぞ」
 「そんなことは知ってるさ。翼をできるだけ覆って、飛ばないようにおとなしくしているしかないな」
 「グリフォンやコカトリスにも君たちのような翼があるが、砂や海には弱いのかな?」
 「そうでもねぇらしい。あいつらの翼の方がずっと頑丈にできているんだろう」
 「そろそろ話をしてもかまわぬか?」
 「申し訳ありません、サラディン殿」
 「いいや、わたしも興味深く聞かせてもらった。そなたをカストラート海に連れてきて、すまなかったようだな」
 「それほど繊細でもないさ。それに、グランディーナに約束しちまったからな。あいつの腕には遙かに及ばないが、剣ぐらいにはなってやるって言ったんだ。それで、あんたの話というのはなんだ?」
 「現在のカストラート海の状況を少し、話しておこうと思ったのだ。この先も3人で行動することはないかもしれない。1人になった時に自分で判断しなければならないこともあるだろう」
 ランスロットはもとよりカノープスも緊張した顔つきになった。帝国相手に数の不利はいつものことだが、今回はいつにも増して少ない。判断のまずさは己の死に直結しかねない。
 だがサラディンはいつもと変わらぬ調子で話し始めた。ゼテギネア帝国が人魚たちに荷担しているが本格的な戦争には陥っていないこと、帝国の参入は狩りを止めさせるほどだったこと、などである。
 「より詳しいことはマーケサズで合流するジャックの部下たちに聞けるだろう」
 「狩りが止まったって言ったって、いままで好き勝手に人魚を狩ってきた連中がてめぇが同じ立場に立たされたもんでびびってるだけじゃねぇのか?」
 「それほど単純な話ではなさそうだ。アレイスたちが聞いたところでは人魚を狩っていた者たちよりももっと確かな戦力がありそうだ」
 「しかしサラディン殿、帝国がすでに人魚たちに荷担している以上、考えられる戦力など、このゼテギネアの外にしかないのではありませんか?」
 「あり得ぬ話ではないが、ゼテギネアを狙うのであればカストラート海から手を着けるのは見当違いも甚だしいと言わざるを得まい」
 「足がかりにされる恐れはないでしょうか?」
 「まったくないとは言い切れないが、可能性は低いだろう」
 「ランスロット、おまえもゼテギネアを離れていたことがあるのか?」
 「これでも傭兵歴は長いんだ。あのままバルナにいてはわたしもウーサーに殺されていたかもしれなくてね。もっとも、ウォーレンの手引きで逃げられたのはわたし1人だけで、一族は皆、処刑されてしまった」
 「そいつは悪いことを聞いちまったな」
 「わたしにはもう済んだことさ。それにウーサーと戦った時にわかったんだ。長いあいだ、まるでジャイアントのように思っていた仇が、本当はとても小さかったということにね」
 「そのとおりだ」
 しかし、黙りこくったサラディンは2人の話もまるで耳に入っていないようで、厳しい顔をして考え込んでいる。
 「どうかなさいましたか、サラディン殿?」
 「いいや。おそらく、わたしの思い過ごしだろう」
 「もったいぶらねぇで話してくれてもいいんじゃねぇのか? 可能性が無でないのなら、俺たちも警戒しておいた方がいいと思うんだがね」
 カノープスの言葉に彼は穏やかに微笑む。
 「グランディーナも同じようなことをしたか?」
 「ああ。一回、説教してやったぐらいだが、あいつのことだ、またやらかすだろう」
 「良かろう。どうせそなたたちにも無縁ではなくなった相手だ」
 「て言うと、まさか?」
 「そのまさかだ。いくら転生用の身体を用意してあったとしても、自らの意志に反した転生だ、これほど早く復活することはあるまい。それにバルモアで会ったのは確かにアルビレオ殿であった。だが、その可能性をまったく否定してかかるわけにもいかない。だから、思い過ごしだろうと言ったのだ」
 「そいつも、あんたには最悪の想定のうちなのかもしれねぇが、つくづく因果な性分のようだな」
 しかしサラディンは微笑み返しただけで、その話を一方的に打ち切ってしまった。
 「もう一つ寄りたいところがあるのだが、カストラート海の状況を把握せぬうちは後回しにせざるを得まい。だが、わたしたちは帝国の後手にまわってしまっている。選択肢は多くなかろう」
 ピトケアン島からマーケサズまでは日の出とともに発てば日没直後ぐらいには着く距離だ。パペーテ島、マルデン島の西を進み、〈漆黒の涙〉号は水平線に陽が沈んでいくのに追われながら、マーケサズ港に入った。
 「サラディン殿!」
 マーケサズはカストラート諸島でいちばん大きな町だが、夕方というせいもあってか港には3人しかおらず、その漁師らしからぬ見知らぬ人物は、船が碇を降ろすよりも早く駆け寄ってきた。
 3人で話した後はずっと船室にいるとばかり思っていたサラディンがいつの間にか甲板に出ており、船が港に停泊するなり、真っ先に降りる。
 「〈何でも屋〉のジャックの命令でここでお待ちしておりました。セダンダといいます。彼らはローベックとクージュラージュです」
 セダンダは控えめそうな印象の目立たない若者だ。ランスロットもカノープスも、ふとアラディのことを思い出して、どちらからともなく苦笑いを浮かべる。彼もいつの間にか解放軍では古株の1人になってしまったが、影をやっている方が珍しいような優男だからだ。もっとも当人は影以外の仕事など思いもつかないらしく、最近では影たちの取りまとめを押しつけられながら愚痴を漏らすこともなく働いている。
 一方、ローベックとクージュラージュはいかにも戦士らしい武器を身につけていた。
 「よく来てくれた。わたしがサラディンだ」
 「はい。ですが、報告の前によろしいでしょうか。実は、この町の中央広場で、捕らえられた人魚が殺されかかっているのです。ご興味があるのではありませんか?」
 「何だと?!」
 カノープスはつい身を乗り出し、セダンダの胸ぐらを引っつかんだ。
 「そいつはいったいどういうことだ?!」
 「に、人魚たちが漁船を襲ったんです。それで漁師たちが1人、殺されたんですが、人魚たちも返り討ちにされました。でも1人だけ捕まえられたんです」
 「自分たちはさんざん人魚を狩っておいて、仲間が殺されたら殺すだなんて勝手なこと言ってやがる。カストラート海でいったい何人の人魚が殺されたと思ってるんだ?」
 「だがそなたとて、その数を正確に知っているわけではあるまい。感情論に感情論をぶつけても相手を説得することはできないぞ」
 憎らしいくらいに冷静な言葉はカノープスの頭に冷水をぶっかける程度には役に立ったし、ランスロットも思わず自分の意見を述べるのは手控えたほどだ。
 「だからといって、このまま見逃していいなんて言い出しゃしねぇだろうな?」
 「わたしは腑に落ちぬ事件だと思っている」
 「どういうことだ? ゼテギネア帝国って後ろ盾を得た人魚たちが、とうとう痺れを切らして人間を襲ったんだとは思わねぇのか?」
 「それほど単純な事件ではなかろう。人間を襲うほどの力を持った人魚は、そなたたちも知っているようにマーメイドやニクシーをリーダーとする戦闘部隊だがその戦力は侮れぬ。むしろたかが漁船などに容易に撃退できる相手ではないはず。最近の不穏な動きに備えて漁船に用心棒でも乗り込ませていたのか、あるいはもっと別な理由があるのか気になる。それに我々も襲われたことを忘れるな。2つの事件は決して無関係ではあるまい」
 ランスロットとカノープスは思わず顔を見合わせる。人魚の戦闘部隊のことは2人とも知っていたが、サラディンの言うような理由も、自分たちが襲われたこととの関連性も考えていなかったのだ。
 「帝国の目的が聖剣以外にあるのかもしれないし、このような事態を想定したからアルビレオ殿の存在を疑っている。いまに始まったことではないが彼の他者の命を軽んずるやり方には虫酸が走る」
 「それでは余計、アルビレオのやろうとしていることを止めなければならないのではありませんか?」
 「カノープス、そなたがその人魚を助けよ。そしてそのまま、人魚たちの住処に案内してもらうように仕向けるといい。このような状況になっては彼女らはたとえカストラート海や帝国の者ではなくても人間には容易に心を開くまいが、バルタンであるそなたならば、受け入れられる余地もあるだろう」
 「俺に影をやれっていうのか?」
 「それほど大袈裟なものではないが、直接行動を含むだけにより危険でもあるぞ。帝国の目的が何であれ、人魚たちを利用しようとしているのは間違いあるまい。そなたはブリュンヒルドの行方を捜してくれ。帝国に先んじて我々が聖剣を手に入れられれば、人魚との全面的な対決は避けられるかもしれないし、帝国の矛先も人魚からは逸れよう」
 サラディンの言葉にカノープスは驚きを隠せなかったが、答えるのに躊躇することはなかった。
 「わかった、やってみようじゃねぇか。そういうことならば俺は先に行く。
 ランスロット! 後を頼むぞ」
 「君こそ気をつけて行ってくれ!」
 「心配するな!」
 カノープスは素早く上空に飛び上がった。
 大陸の町々に比べるとせいぜい二階建ての家ばかりが並ぶマーケサズでは、視界が開けるにはそう高く登る必要がない。それに彼の優れた視力はすぐに中央広場を見つけ出した。
 猫の額ほどの広さしかないが、町中の人間が集まっていそうな人だかりがして、その中心で柱に縛りつけられた人魚の尾が残りわずかな陽光に煌めいている。
 わざと翼を大きく広げたせいもあったのだろうし、夕陽を負ったことも効果的だったのだろう。彼に気づいて人が動いた。人魚を囲むぎりぎりの大きさだった人の輪がカノープスを避けるように広がって、彼は余裕を持って降り立つことができた。
 「何者だ、おまえは?」
 「俺か? 俺の名はカノープス=ウォルフ、風使いのカノープスっていったら、大陸じゃあちょっとした有名人なんだがな」
 「あいにくだったな。ここはカストラート海だ、大陸の事情なんてものに興味のある奴はいねぇよ」
 「そうか」
 カノープスは言うなり、人魚を縛りつけていた縄を引きちぎった。
 「何しやがるんだ?」
 人魚がくずおれ、カノープスは彼女を抱き上げる。けれどその身体は予想していたよりもずっと重く、彼は足腰に力を入れて踏ん張り直さねばならなかった。
 「あんたらは大陸の事情には興味がねぇんだろう? だったら口を出さねぇでくれよ、これが俺たちのやり方なんだ」
 「なにっ?」
 その時、広場の入り口にサラディンたちの姿を認めて、カノープスは軽く片目をつぶってみせた。
 だが、そこへ思いもよらず鋭い声が飛んでくる。
 「だまされるな! そいつは反乱軍の賞金首だ!!」
 「なんだと?!」
 声の主を彼は素早く捜す。漁師風の目立たない男だが、漁師にしては色白だ。サラディンもカノープスの視線に気づいた様子ですぐに頷いた。
 そのあいだもカノープスに浴びせられる怒号は続く。
 「反乱軍がカストラート海に何の用だ?!」
 「帝国ばかりか反乱軍まで人魚に味方するのか?」
 「人間を裏切るつもりか?」
 「そうだ!」
 「薄汚い裏切り者め!」
 「そうだ!」
 「うるせぇ!!」
 カノープスは翼を広げ、思い切り怒鳴り返した。それで縮まりかけていた人の輪がまた広がる。
 「さんざん不老不死なんて噂に振りまわされて人魚たちを狩ってきたおまえらが仲間が殺されたからこいつを殺すなんて偉そうなことを言える立場か?!」
 「黙れ!」
 「そいつをどこに連れていくつもりだ?!」
 「止めろ!」
 「反乱軍だか知らないが、一緒につるし上げろ!」
 「そうだ!」
 「そいつは賞金首だ!」
 「一緒に捕まえろ!」
 「そいつも殺せ!」
 「そうだ、そいつも殺せ!」
 「2人とも殺せ!」
 「そうだ!!」
 「殺せ!」
 「殺せ!!」
 一斉に伸びてきた無数の手をくぐり抜け、カノープスは素早く飛び上がる。自分を見上げる憎悪の眼差しには、さすがの彼も背筋が寒くなった。
 腐った果物や生卵、果ては石つぶてまで投げつけられたが、彼はたちまちのうちにそうした投射物の届かない高みまで登っていった。けれどマーケサズは広い町ではない。ぐずぐずしていたら、追いつかれるのも時間の問題だろう。
 しかし、腕の中の人魚は気絶しているためもあって異常に重たい。乾ききった鱗は鈍い金色だが、いまにも1枚1枚剥がれ落ちてしまいそうだ。
 「こいつ、ニクシーか」
 人魚は種族全体が水の女神グルーザとの結びつきが強いが、その中でも水を操ることに長けた者をマーメイドと呼ぶ。人魚の寿命は400年近く、人間のおよそ3倍の寿命を持つ有翼人よりさらに長い。200年以上生きたマーメイドは、「グルーザの愛娘」という愛称にふさわしく、より女神との結びつきも強く、操る水は魔術師並みの威力を持つようになる。そうしたマーメイドはニクシーと呼ばれる。人魚の尾は赤紫色の鮮やかな鱗に覆われており、水中ではまるで宝石のように見えるが、ニクシーの尾からは赤紫色が抜けて鈍い金色になるのだった。
 その時、ニクシーがうめき声を上げ、弱々しく目を開けた。
 「エゲリア? サルナ? ここは、どこ?」
 「待っていろ。もうじきあんたを海に戻してやれる。あと少しの辛抱だ」
 「あなたは誰なの? 有翼人がどうして?」
 「説明は後だ。助かりたかったら、いまはおとなしくしていてくれ」
 「わかったわ。でも、せめてあなたの名前ぐらい教えてちょうだい」
 カノープスは驚いてニクシーを見たが、彼女が微笑みかけたので自分も笑い返した。
 「人魚の礼儀だと質問者が後から答えるんだっけな。俺はカノープス、風使いのカノープス=ウォルフだ」
 「よく知っているわね。私はメリアーよ」
 無人の岩場に降り立ち、メリアーをそっと海面に下ろす。尾が水につかるとニクシーは文字どおり水を得た魚のように生気を取り戻し、彼の腕から水の中に滑り降りた。
 「メリアー!」
 カノープスの呼び声に応えるかのようにニクシーは大きく海上に跳び上がり、水しぶきを跳ねらかした。
 「ああ、生き返るようだわ! ありがとう」
 水に濡れた髪が鱗と同じ鈍い金色に輝く。ニクシーを見るのはこれが初めてだったが、傷ついているとはいえ、メリアーはなかなかの美人だった。
 「悪いな、俺じゃあんたの傷は治してやれない」
 「気にすることはないわ。私たちには海にいることが何よりの薬だもの」
 けれど、メリアーの表情が急に沈み込んでしまった。
 「でも、私たち、失敗してしまったわ。エゲリアもサルナもアペーモシュも殺されてしまって、ポルキュスさまが悲しまれるわ」
 「ポルキュス? あんたたちの長の名前かい?」
 メリアーは頷いた。それはリエッシーから聞き出した話と合致する。彼女はポルキュスのところまで無事に帰ったろうか。
 人魚たちは人間や有翼人とはほとんど交渉を持たずに暮らしている。マーメイドやニクシーの存在や特徴的な鱗の色などのことは、皮肉なことに人魚狩りの過程で知られてきたものだ。しかしそのなかでも、人魚たちの主な住処と一族を率いているであろう長のことはほとんど知られていない情報である。
 つまり人魚たちが独断でブリュンヒルドを奪ったのならば、その命令を出したのはポルキュスである可能性が高いのだった。
 「そういえば、ここら辺の海で有翼人は珍しいわね。あなたはなぜカストラート海に来たの?」
 「捜し物さ。聖剣ブリュンヒルドを探しに来たんだ。あんた、知らないかい?」
 「あなたがブリュンヒルドを?」
 メリアーは少し警戒するように彼を見た。カノープスは軽く肩をすくめてみせる。
 「あんたは気絶していたから聞いてなかったかもしれないが、俺は帝国が反乱軍て呼んでる、解放軍の一員だったのさ」
 「だったとはどういうことなの?」
 「捕まってたあんたを助けるの助けないのって、一悶着あって、やめてきたばかりなんだ」
 「やめてどうするの?」
 「実はまだ考えてない。このまま傍観者になるってのも性に合わねぇが、帝国の味方をするのも真っ平ご免なんでね」
 彼女はしばらくカノープスを凝視していたが、やがて微笑んだ。
 そのころになると夕闇はずいぶん濃いものになっており、互いの顔が見分けられなくなるのももうじきのことと思われた。
 「何と言ってもあなたは私の命の恩人だわ。どうかしら、あなたをポルキュスさまに紹介したいのだけれど、私と一緒に来てくれない?」
 「俺があんたたちの仲間にかい?」
 「それを決めるのはポルキュスさまだけれど、私、あなたのような勇敢な男性が好きなの」
 「そいつは光栄だね、メリアー」
 「それじゃ、決まりね。明日の朝、発ちましょう。ここからだとマーケサズ島の北側を迂回していくようだから2日ぐらいかかると思うわ。どちらにしても今日はここで野宿するようね」
 「野宿には俺も慣れてるが、あいにくと食糧は持ってないぜ」
 「私に任せて。魚でよければ捕ってきてあげる」
 彼がいいとも悪いとも言わぬうちにメリアーは海に潜ってしまった。その姿に多少の罪悪感を覚えつつ、カノープスは改めて岩場に腰を下ろす。
 「こういうことは得意じゃねぇんだが、乗りかかった船だ、腹をくくるしかなさそうだな。それにしても、たとえ俺が人魚たちの本拠地に着いたってサラディンたちにどうやって連絡をとればいいんだ?」
 しかし、彼はすぐに頭を振る。
 見上げると、空にはいくつもの星が瞬き始めていた。
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