Stage Thirteen「暗黒のガルフ」
バーミヤンで解放軍の本隊と別れたサラディンとユーリア、天空の三騎士はカオスゲートのある島までとって返し、翌日にはアンタンジルに至った。
当初の予定どおり、ユーリアとグリフォンは島で待機し、サラディンだけが天空の三騎士に同行した。
事前に説明されていたが、アンタンジルに一歩踏み込んだ途端、サラディンは魔界の瘴気のために息をするのも難しいことを知った。その対抗策を採っていても息苦しく、水や大地ばかりか空気さえも悪意を持っているかのようだ。
「ムバンダカに寄ってから行こう」
「そうですネ」
それからフォーゲルは振り返り、サラディンに説明する。
「アンタンジルでは唯一、まともと言っていい町だ。何千年も封印され、魔界の瘴気にさらされて、どのように変わったのか調べておかなければな」
「私たちが行けば、わかりましょう。このように身を隠していても見破られるようならば、ムバンダカは完全に魔界の一部となったということです」
フェンリルの言うとおり、4人は頭からかぶる外套を着込み、手袋もはめて、一目見たぐらいでは何者かもわからなくなっていた。
ただ、アンタンジルの気候はアンタリア大地に近いらしく、不快な蒸し暑さが耐えがたいくらいだった。
「そうなれば、たとえ封印の内とはいえ、地上にそのような場所を残すわけにはいくまい。ムバンダカは殲滅する」
「相変わらず容赦がありませんネェ、フォーゲルさんは」
「その口をふさがれたいのか? 魔界で名を呼ぶことは我らの名をそこら中に大音声でふれ回るようなもの、神の尖兵が来たと報せる行為に等しい。気をつけろ、我らはアンタンジルには好ましからざる客だ」
「魔界に来たのが久しぶりだったので忘れていましタ。ですが、魔界の戦力を少しでも削いでおくのは悪いことではないでしょウ?」
「アンタンジル中の悪魔を倒しても魔界の戦力をそれほど削いだことにはなるまい。奴らの本拠地は魔界だ、アンタンジルに出てきた者など大した数ではなかろう」
「いくらわたしたちでもアンタンジル中の悪魔を倒すのは大変ですネ。これから気をつけますヨ」
「もう遅いわ。見張りの兵かもしれないけれど見つかってしまったわよ」
フェンリルの言ったとおり、悪魔が5匹、近づいてくる。
見上げた空は灰色で雲も澱んでいるかのようだ。風はなく、空気も停滞していた。それでもアンタンジルには陽の光がまったく届かないというわけではないらしかった。
「やっぱり、わたしの責任でしょうネ。すぐに片づけてしまいますヨ」
そう言ったスルストの背に炎の翼が生えた。彼はそのまま剣を抜くと、言ったとおり、5匹のデーモンを素早く倒した。
「さあ、ムバンダカに行きましょうカ?」
「そうしよう」
フォーゲルが先頭に立ち、スルストが続く。サラディンはフェンリルに促されて彼女の前を歩き、前後を天空の三騎士に守られることになった。
以後、アンタンジルを出るまでの3日間、それが彼の定位置だった。
足下の大地は沼沢地と呼ぶほどではなかったが、ところどころに水たまりがあり、歩きづらい泥地だった。サラディンはいつもの引っかけ靴ではなく、フォーゲルの助言に従って騎士たちの履くような頑丈な革靴を履いていたが、それでも歩いているうちに水がしみこんでくる。
だが、じきに彼らはムバンダカに至った。街壁もなく、通りという通りは泥に覆われたままなところは町と言うよりも村と呼んだ方が相応しい。そこに住んでいるのがどんな人間なのか、サラディンには予想もつかなかった。
真っ先に視界に入ったのは、短い角を生やした人型の集団だった。人のように鎧を身につけて武器を持っていたが、丸い頭にはざんばら髪しか生えておらず、額の真ん中の角が目立った。
彼らは喧嘩をしており、二手に分かれて争っているようだったが、道を行く者はそれを気にする様子もなかった。むしろ、その集団から抜け出して去っていく者もあれば、新たにどちらかの集団に混じる者もおり、喧嘩と見えるのも、ここでただの話し合いだったりするのかもしれない。
そして、道を行く者も似たような容姿が多く、改めてサラディンは、ここが魔界だと言った天空の三騎士の言葉に納得していた。
時々、通行人に有翼人がいたが、その羽根が真っ黒だったり、悪魔のような翼の者がいることも稀ではなかった。
たまにそれらの有翼人よりも背が高い灰色の肌をした者がいたが、その顔つきは一本角よりも凶暴そうで、手が長くて前屈みの姿勢で歩いており、見た目どおりに辺り構わず暴力を振るっているのだった。
「オウガですかネ?」
「違うようだ。ここの人間が長い歳月の間に変化したものだろう。本物ならば俺たちに気づくはずだ」
けれど、オウガもどき以上にサラディンを驚かせたのは長衣を着た魔法使いらしい人間の存在だった。ただ、それらの顔はどれも土気色で、これ以上ないぐらいに肉が薄かった。まるで頭蓋骨の上に直接、皮を貼りつけたかのような顔つきだ。
彼らは魔法使いだった。それも足下が泥にまみれるのを嫌って、自分たちの身体を宙に浮かせて移動し、その力を誇示していたし、サラディンにも彼らの魔力は伝わってきた。
オウガもどきさえ彼らを避けた。
そして彼らはフォーゲルの前で立ち止まり、肉の薄い鼻をひくつかせた。
「臭う、臭うぞ。わしらの大嫌いな太陽神の臭いがする」
「それもそのはず、こいつらは外の世界から来た連中だ。あの忌々しい封印を破ってきたか? 外に行けるようになったのか?」
その声はよくとおり、オウガもどきや有翼人、一本角がだんだん集まってきた。こうして見ると人間の姿は皆無と言ってよく、魔法使いたちも人間ではないのかもしれない。
「いいや、封印はされたまま、太陽神がわしらを閉じ込めたままだ」
「では、こいつらはどうやって来た? このアンタンジルに何をしに来た?」
「もちろん、わしらに害をなすために決まっている。太陽神とわしらは不倶戴天の敵同士、ましてやここは魔界につながっている。ここには暗黒のガルフさまが封印されている」
「ならば、望みどおりにしてやろう!」
目にも止まらぬ速さでフォーゲルは剣を抜き、手近の何人かを斬り捨てた。
と同時に頭の被り物が落ちて、彼の竜頭があらわになった。
「こ、こいつらは?!」
「天空の三騎士だ!」
ムバンダカは騒然となり、スルストやフェンリルも剣を抜いて応戦する。
しかし、サラディンは速攻で身を隠した。アンタンジルの空気が思っていた以上に彼の負担となっており、このままでは天空の三騎士の足を引っ張りかねないと判断したからだ。
けれど、彼などいなくても3人の強さは圧倒的だった。彼らの剣が一閃するたびに首が1つ飛んだ。どれも巨大な剣ではないのに2つまとめて飛ぶこともあった。飛ばない時には少なくとも1体が串刺しにされていた。
フィラーハの守りも働いており、3人が傷を負ってもすぐに癒された。天空の三騎士の戦いは一方的なものだった。
その光景はオウガバトルもかくありなんと思わせるほどに凄惨なもので、次から次へと現れるオウガもどきや悪魔、一本角に有翼人の誰もが彼らにはかなわなかった。天空の三騎士の攻撃は、まるで死体の山を築く作業のようだ。
それはサラディンに吐き気を催させた。確かにフォーゲルはムバンダカの殲滅を口にしたが、その徹底ぶりは戦慄するのに十分なほどだ。スルストやフェンリルも動く者には例外なく、その剣を向け、斬った。
子どものような一本角や有翼人もいたが、彼らも生存は許されなかった。
何千年か前もそうしたように、天空の三騎士は魔界の者たちを狩った。
「ここまでするのが神の意志だというのか?」
「そうだ」
フォーゲルの竜頭は、自らの赤い血と悪魔たちの黒っぽい体液のために三色斑になっていた。
「このような者たちが神に帰依することはもはやない。その力はそのまま魔界の神々の力となり、いずれ地上や天界を脅かすだろう。ムバンダカはそのような者たちの拠点として働いていた。来るべきオウガバトルに備えて、神はそうした場所を減らすことを望まれている。我ら3人がその意志に背くことはできない。そのための力であり、そのための命だ」
「だがムバンダカで何があったかは広く知られよう。知った者はますます太陽神を憎み、そのことを自分たちの力とするのではないのか?」
「逆の立場でも同じことだ。魔界の神々が我々のような尖兵を送り込めば、必ず地上の者を皆殺しにしようとするだろう。どこにあっても、共存など、あり得ないのだ」
「何にしても長居は無用ですネ。アンタンジルの水には女神の力が働いていませんが、わたしたち、身支度をしてくるので待っててくださイ」
「承知した」
血にまみれていたのはフォーゲルばかりではなかった。スルストやフェンリルも鎧が汚れたり、傷を負ったりしていた。しかし、そんな傷はすぐにフィラーハに癒されるのだろう。
サラディンは倒された者たちの様子を見てまわった。たいがいの者は一撃でとどめを刺されており、天空の三騎士の手際の良さがうかがえる。
だが、オウガもどきと呼んだ灰色の肌の者たちは旺盛な生命力を持っていたらしく、一撃では倒しきれなかったようだ。
これが偽物だと言うのならば、伝説に伝わるオウガとは一騎当千の強者であったに違いない。そんな者が地上を蹂躙した時の怖ろしさも容易に想像がついた。
それでもサラディンはフィラーハの命だからと彼らを殺し、1つの町を失くしてしまった天空の三騎士に諸手を挙げて賛成することができないのだ。
それが神というものなのだろう。神の尖兵とフォーゲルが言ったのは皮肉も込めてのことなのかもしれない。その過酷さがなければ人間はオウガバトルの時に滅んでいた。それもまた紛れもない事実であったろう。
三騎士が順に戻ってきて、彼らはガルフを封印した地に向かった。いまも使われている細い道が、湿地の間をぬうように西へ延びていた。
4人が足を止めたのは天空の三騎士がイノンゴと呼ぶ廃墟でだ。フォーゲルの話によれば、そこはオウガバトルの時に滅ぼされた町なのだという。
「奴を追ってアンタンジルに攻め込んだ我々は、このイノンゴで奴の軍とぶつかった。すでにオウガバトルの趨勢は決しており、奴は最後まで抵抗していた勢力だったが、その影響力を重く見た神は、アンタンジルの封印と少なくとも奴を封印するか、できたら倒すことを命じたのだ」
「確かに地上にも彼の名は伝わっている。最も長く戦った魔界の将軍として」
「魔界に天界や地上と同様の組織があるわけではないが、奴の率いる勢力は大きく、将軍と呼ぶのが相応しかったろう。だが我々には勢いもあった。地上から魔界の者どもを追い出し、平定してきたばかりだ。奴の配下のオウガやサタンがいくら手強くても、それを退けるだけの力があったのだ」
「でも、わたしたちには奴を倒すだけの余力はありませんでしたネ。わたしたちもここで3人だけになってしまいましたし、生き残っていた人たちもかなり倒されてしまいましタ。人間は本当にぎりぎりのところで勝ったんですヨ」
「今度は彼を倒すために?」
「そのつもりです。ただ奴も私たちと一緒で本当に死ぬということはありません。ですが、ここで倒されれば、復活にはかなりの時間を要します。来るべきオウガバトルには、奴がオウガを率いることはないでしょう」
「あなた方がアンタンジルに来ているように魔界の尖兵や神々がカオスゲートを破ることはないのか?」
「それは奴らにとって分のいい賭けではないな。カオスゲートを封じたのは太陽神、彼のように破ることのできる者がいても、その封印自体が消えるわけではないのだ。カオスゲートを破るにも膨大な魔力が要るだろう。さらに地上なり天界に橋頭堡を作るのも楽ではないはず、そんなことをするよりも奴らはカオスゲートを消す方を選ぶに違いない。だが、それは遙かに大変なことで、準備にも時間がかかるだろう」
「わたしたちがアンタンジルに来られるのは魔界化しているとはいえ、地上の一部だからでス。魔界に攻め込むのとはわけが違いますネ。そこは奴らの世界ですから、わたしたちもこんなにのんびりしていられませン」
「それでは一つうかがおう。天界や地上から魔界に攻め込むことも、その逆も難しいとあなた方は言う。それは世界の分断を意味するのではないのか? それなのに、なぜオウガバトルが再び起こると判断しているのだ? そう考える根拠を聞かせてもらいたい」
「人、特に人間のためです。人間は光と闇を併せ持つ存在、その本質は確かに光に惹かれるものですが、彼のように闇に惹かれる者も少なからずおり、その力は有翼人や人魚の比ではありません。それは魔界の知るところとなり、人の内に擬似カオスゲートを生み出します。そのような人間が増えれば、たとえカオスゲートは閉ざされたままでも魔界の者は容易に地上に出、また天界にも向かうでしょう。私たちが彼のことを重視しているのは、すでに擬似カオスゲートを持っているのではないかと考えているからです。一度持ってしまえば、もはや魔界との繋がりを絶つことはできますまい」
「擬似カオスゲート?」
「そんなことまで話さなくても良かったんじゃないですカ?」
「いいや、その可能性のある者は知っておくべきだろう。なぜ悪魔が人の召喚に応じると思う? 召喚した者はそれだけ魔界に近くなるからだ。やがて、その者は魔界と分かちがたくなっていき、その内に魔界との通路を持ってしまう。それが擬似カオスゲートだ。持ち主の力にもよるが、魔界からの出入りが可能になる。ただ同時に魔界の瘴気に冒されることにもなり、長くは保たない。しかし、そうする者が人、特に人間のあいだに絶えることはあるまい。だから悪魔たちは地上に来ることができる」
「あの方のなかに、そのようなものがあると疑っているのか?」
「そうでス。でも彼にはまだ自分の意志がありますネ。擬似カオスゲートが生じてしまうと、ほとんどの人は魔界の傀儡(くぐつ)となり、魔界と地上を結ぶ道具になってしまうのでス。でも彼はそうではありませン。それは驚くべきことでス。そうならないためにはとても強い意志がいるんですヨ。そうなっている者はわたしたちも彼のほかには1人しか知りませン」
「その1人とは、裏切りの使徒のことか?」
サラディンの問いに3人は顔を見合わせる。応じたのはフォーゲルだ。
「そうだ。そのためもあって彼の力はキャターズアイに封印された」
「力を失えば彼に擬似カオスゲートを律することはできなくなってしまったのではないか?」
「そんなことはない。擬似カオスゲートを維持するには強い力を必要とする。力を失って、彼の擬似カオスゲートも維持できなくなったのだ。魔界は彼の力を利用できなくなり、擬似カオスゲートも使われなくなった」
「だが彼とて、たかが人であろう。あなた方の力をもってすれば命を取ることもたやすかったのではないのか?」
「使徒の力はわたしたちと同じくらいでス。彼を簡単に負かせたのは神々だけでしょウ。前に話しましたね、彼のために地上を助けるのが遅れたト? つまり、そういうことなんですヨ」
「あなたは彼女のことを心配しているのではありませんか?」
「それは否定しない。だが、あれには魔力がない。擬似カオスゲートを作ることはできなかろう」
「俺は力と言っただろう。彼女が堕ちれば、魔力があろうとなかろうと関係ない。むしろ、あれだけの力を魔界が見逃すはずもない。だから我らは彼女が堕ちることを案じているのだ。おぬしから説得すれば、彼女も我々の提案を受け入れてくれるのではないか?」
「それはできない。あれと同じように、わたしも最後まで諦めるわけにはいかないのだ」
「そうなる可能性は低くないし、そうなってからでは遅いということもわかっているのか?」
「あれが決めたことだ。いまさら、わたしが口を挟む筋合いではない」
フォーゲルはスルストとフェンリルを振り返ったが、2人とも肩をすくめるばかりだった。
「休む前にもう一つだけ聞きたい。擬似カオスゲートとは人の魂に宿るのか? それとも身体に?」
「全てにです。そうなったら逃れることはできません。その者は魔界に侵蝕されているからです」
「ならば、あの方が転生しても、それから逃れることはできないということか?」
「恐らくはな。だが、そのような前例はない。転生は外道の技だ」
「彼がいつまでも転生しないのも、そうとわかっているからじゃないですカ? できるのなら、さっさと転生すればいいのですヨ」
「器がなければ、あの方とて転生するわけにはいくまい。おそらく、いま転生するのは都合が悪いのだ」
「器とはいやな言い方ですネ」
サラディンはゆっくりと立ち上がった。
「そろそろ休ませてもらう」
「そうするがいい。明日は奴の封印されたところまで行くつもりだ。きつい行程になるかもしれないし、そもそも、よく寝られるという保証もないからな」
フォーゲルの言ったとおり、彼の眠りは浅く短かった。切れ切れのまどろみの中でも悪夢を見たからだ。それなのに目が覚めるとどんな内容だったのか、まるで思い出せなかった。目を覚ますとただひどく汗をかいていて、とても恐ろしかったことしか覚えていないのだ。
そのために朝だとフェンリルに起こされた時にもちっとも休んだような気がしなかった。魔界の瘴気のため、全身が蝕まれたように感じることも一役買っていただろう。
「大丈夫ですか? ひどく疲れているようですが」
「大して眠れなかったのだ。あなた方の言うように、魔界はただいるだけでも楽ではないところだ」
「私たちのように神の加護が得られれば良いのですが私たちが受けられるのは私たち自身だけで、ほかの方には広げられないのです」
「かといって、あまり強い魔法は使わぬ方が良いのだろう? 魔界の者は魔法に敏感だと聞いた」
「そうですね。でも私たちの存在がここでは闇の中の松明のようなものです。あなたが自分の身を守る魔法を使ったところで、襲ってくる者が極端に増えることもないでしょう。私たちのことは気にかけず、自分の身を守ってください」
「そうさせてもらおう」
「あなたの支度ができたら出発します。声をかけてください」
「ありがとう」
それから彼らは襲ってくる魔界の者たちを退けながら西へ向かった。悪魔も一本角も、ガルフのもとに向かう三騎士を単に足止めする役割さえ果たしていなかった。
彼らが暗黒のガルフを封印したアンタンジルに着いたのはその日の午後だ。
そこには石造りの、神殿と呼んでも差し支えのない立派な建物があり、ガルフや魔界の神々に捧げたらしい生贄の血生臭いにおいが充満していた。
そして、神殿の中からは吐き気を覚えるほどの悪意が放たれて、サラディンはたまらず足を止めた。
フェンリルも顔をしかめたが、彼を追い越していき、3人は神殿に近づいた。
「来たか、天空の三騎士ども! 我が身を封じ、我が部下を倒した太陽神の手先どもめ、貴様らを倒す日をいまかいまかと待ち焦がれていたぞ!」
ガルフの声は周辺の空気を軋ませた。地上に現れた魔界となるほど変容したアンタンジルの大気さえ、かつての魔界の将軍になじむには至らないのだ。それが魔界の神々ならば、大気は悲鳴を上げるかもしれない。
「我ら3人に封じられた身で何をほざく! 封印の下で命と力を削られ、なおここにあるしぶとさは認めてやる。だがその命、その姿も今日までのものと思うがいい!」
「くくくっ、これだから貴様らはおめでたいと言うのだ。この俺が貴様らごときの封印で命と力を削られただと?! その逆よ、あの時は俺たちの方が追い詰められていた。太陽神の手先が急に増えたものでな、形勢が逆転した。だから俺は貴様らに封印されたのだ。幾千年が経ち、力をつけるためにな。貴様らの方こそ、今日までの命と覚悟しろ! 天空の三騎士ならば俺の復活に捧げるに相応しい生贄だ!!」
「馬鹿ナ!」
ガルフの言葉が終わると同時に神殿は爆発し、跡形もなく吹き飛んだ。
無数の瓦礫が降り注ぎ、4人を打つ。サラディンは天空の三騎士とともに素早く上空に逃れたが、無傷ではいられなかった。
神殿の跡に立っていたのは彼らの数倍の大きさの悪魔、サタンだった。
「私たちの封印で命と力を削られたはず、あれでは以前より大きいわ!」
「生贄と信者が奴に力を与えたんですカ? いくら4000年も経っているとはいえ、そんなはずがありませン。それとも魔界から力を得ているとカ?」
ガルフの手には塔のような高さの巨大な鎌があった。それに比べれば、いくら天空の三騎士の手にあるとはいえ、剣も短刀にしか見えないほどだ。
「さあ、下りてこい、天空の三騎士ども! そこな人間ともども葬り、俺の復活に捧げてやろう!」
「確かに奴の力は前に戦った時と同じくらいには復活しているようだ。だが奴はまだ封印の支配下にある。あれだけの力を持つのなら、なぜ、そこから動き出さない? 魔界に戻るなり地上を目指すなりしないのは奴にそうできないからだ」
「でも、あんな力はいったいどこから得ているんでス? あれに配下を呼ばれたら、いくらわたしたちだって大変ですヨ」
「ならば、奴をさっさと片づけるとしようか。せめて封印が働いているうちにな!」
三騎士は地上に下り、ガルフと対峙した。その対比はまるでジャイアントと子どものようだ。
「確かに貴様の言うように俺はまだ封印から解放されておらん。だが、いまの俺の力をもってすれば封印などあっても貴様らと戦うに支障はないわ!」
「寝言は我らを倒してからほざけ!」
ガルフの振り下ろした巨大な鎌をフォーゲルが剣で受ける。
彼は返す刀で斬り込んだが、鎌の大きさは楯としても働いた。
「大口をたたくな、天空の三騎士め! おまえ1人では物足りん、3人まとめてかかってくるがいい、そこの人間も一緒にな!」
そう言ってサタンは巨大な翼を動かしたが、その身はわずかにも浮き上がりはしなかった。
「くそっ、大地の神か! だが飛べずとも何の不自由もないわ!」
「呪文を唱える気だわ!」
「そうはさせませんヨ!」
スルストが素早くガルフの背後に回り込み、フェンリルも2人と間を空けた。
3人は三方からサタンを囲む形になり、フォーゲルとスルストが同時に攻めた。
だが、ガルフが手元で鎌を一回転させると巨大な岩石が一帯に降り注いだ。
しかし、その寸前でサラディンも含めて水の幕が4人を被い、落下の衝撃を吸収した。
次いで渦巻く炎がガルフに襲いかかり、スルスト自身とフォーゲルの攻撃も合わせて三方からサタンを攻めた。
巨体のためか、ガルフはほとんど避けなかった。
だが、いくら斬りつけられても、その打撃などまるで気にしていないようで攻撃に専念している。
フェンリルが水を針に替えて攻めても、悪魔は端から守る気はないようだ。
しかし、三騎士が受ける太陽神の加護はサタンの攻撃を次々に癒していく。
ガルフの大鎌は一度ならず三騎士の首を飛ばし、数えていられないほど手足を断った。スルストなどはその身を縦に真っ二つにさえされた。
悪魔の鎌は鋭く、いくら三騎士が鎧で守られていようと、紙のように切り裂いてしまうからだ。
けれど、フィラーハの守る3人の身体は、そうした傷を即座に治し、すぐに戦線に引き戻した。
そのような加護があっても天空の騎士たちは魔界の攻撃に次々に倒されたのだ。その苛烈さにサラディンは戦慄せずにいられなかった。オウガバトルとはそのような戦いであったのだと、これ以上、明確に語るものもなかった。
とうとうガルフは片膝を落とした。
無数の傷が悪魔をより黒く染めていた。
「畜生! こんな石に頼った俺が馬鹿だったのだ!」
「それは、キャターズアイ!」
サラディンはサタンの投げた石を素早く拾ったが、それはただの宝石となっていた。その石を手にすれば、オウガバトルを再び起こせると言われたはずの力は微塵も感じられなかった。
「その力、キャターズアイのためだったのか!」
「ふん! こんな石にもう用はない! 俺は俺自身の力を取り戻して、いつか貴様らに復讐してやる!」
ガルフはもう片方の膝もついた。
大鎌はフォーゲルに柄を切り刻まれて、武器としては使い物にならなくなっていた。
その拳も片方は業火に焼かれ、片方は氷の塊に打ち砕かれた。
翼の羽ばたきも三騎士を激しく打ったが、フォーゲルとスルストが片方ずつ切り裂いていた。
「いくらおまえでも命を取られれば、そのようなことは言えまい。次におまえが力を取り戻すのは、また4000年後のことだ!」
「くくくっ、その時まで貴様らが存在していられるかな? 小うるさい太陽神の封印などなくば、魔界が我が揺籃、人間たちの悪意と悲鳴、闇を願う心こそが我が養分、4000年もかからぬと思え、俺はまた復活してやる!!」
「その時はまた、おまえの命を奪うまでだ!」
ガルフの四肢が斬られ、胴体は真っ二つにされた。それでも悪魔は息絶えず、フィラーハや天空の三騎士への呪詛を唱え続けた。
首を落とされてもその声は止まず、結局、三騎士はガルフを細切れにしてようやく止めたのだった。
ガルフの神殿跡で一行は休んだ。魔界の将軍との激しい戦いは、さすがの天空の三騎士にも休みを必要としたのだ。
また3人の関心はガルフが捨てたキャターズアイにも向けられた。
「確かに、この石には何の力もありませんネ。奴が使ってしまって、あんなに強くなったんですカ?」
「俺にもわからん。何しろ、キャターズアイは見たこともなかったのだからな。だが、天界であれほど警戒されていた石が奴にあんな力を与えるだけだったとは思えん」
「彼が使ったのでしょう。ほかには考えられません。奴の力があれだけで済んだのは、そのためでしょう」
「わたしもそう思う」
「彼がキャターズアイの力を手に入れたと? 神の封印だぞ、人間が容易に解けるはずがない!」
「その神がなしたカオスゲートを、あの方は破っている。おかしくはないだろう」
「残念だが、カオスゲートとキャターズアイでは神の込めた力が違う。カオスゲートはいずれ魔界の神々が総力を込めれば破られるもの、だがキャターズアイの力を解放することは許されない」
「でも、このように力を失っているのですよ?」
「待ってください、皆さン。見たこともない物を前に議論しても時間の無駄でス。これが本物のキャターズアイかどうかなんて神様に訊けば、わかるじゃないですカ」
「それもそうだな」
フォーゲルはただちに石を鷲づかみにし、目をつぶった。
3人とも疲労の色が濃いのに、仕事熱心なことだとサラディンは感心していた。
竜頭の騎士が目を開け、手を開くと、石は半バス(約15センチメートル)ほど浮かんで消えた。
「キャターズアイに間違いないようだ」
「神様はなぜ取り上げてしまったんですカ?」
「理由は言わなかったが預かると言われたのだ」
「でしたら、この件はわたしたちの手を離れたものと考えていいんですネ。さっさと休んで帰りましょウ、いくら神の守りがあるとは言っても、アンタンジルにいるのは気持ちのいいものじゃありませんからネ」
「そうだな。見張りには俺が立とう。3人は休んでくれ」
そう言ってフォーゲルが立ち上がりかけるのをサラディンは止めた。
「わたしはあなた方ほど疲れていない。あなた方は休んでほしい。せめて、わたしにできることだ」
「だが悪魔やオウガもどきが襲ってくるぞ?」
「戦いの心得がないわけではない。手に負えない時にはあなた方を起こす」
「本当に大丈夫ですか?」
彼は微笑んだ。
「無理はしない」
それから、3人の返事を待たずにサラディンは神殿の縁に立っていった。
だが、実際に彼の心を占めていたのは師の取った行動だった。いくつもの考えられる可能性が浮かび、一つずつ否定する。
けれど、やはりラシュディの目的は見えず、結論は出ないままだ。
(だが、キャターズアイから力を得て、あなたは何をするというのだ? あなたの力はすでにそんな物を必要としないほど大きかったはず、何のためにそれだけの力を得る?)
野営地の周囲に防御のための魔法を仕掛けながら、サラディンの思いは師ラシュディに向かっていった。
それは暗黒のガルフがもたらず闇よりも、なお濃いものであった。
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